開催報告:令和6年度選べる!すかがわ文化財講座第2回(11月9日)

須賀川市立博物館では、毎年秋に歴史と文化を学ぶ講座が企画されています。今年度も全4回のシリーズで、博物館の収蔵品や展示関連のテーマをもとに受講者の方々へ最新の研究成果をお伝えすることができました。そのうち、第2回は須賀川市と部門が共同調査を進めている歴史資料「相楽家文書」の紹介を兼ねて、荒武賢一朗「江戸時代後期における郷士相楽家と須賀川―自治都市の内実に迫る―」と題して、いくつか興味深い内容を披露しました。
江戸時代の須賀川町は、領主(おおむね白河藩)から任命を受けた在地の郷士たちが中心となって行政運営を進めていました。これを後年の研究者たちは「自治都市」と呼んでいますが、そもそも郷士の仕事とはなにか、という基本的なところは明らかになっていませんでした。相楽家文書の「御用留帳(弘化4・1847年9月から作成開始)」は、それを教えてくれるきっかけになりそうです。この資料は、相楽七左衛門定征(10代目)が父親より家督を継承し、郷士の任命を受けた直後から書き留めた公務日誌です。たとえば江戸幕府の御用荷物が須賀川宿を通過するときの立ち会い、嘉永元年(1848)8月に白河藩主阿部真定が逝去した際の「鳴物停止令」に関する記事などを記載しています。また、しばしば白河藩から須賀川の郷士たちに献金の要請があったこともわかり、領主と領民の関係を読み解くうえでも貴重な資料だと考えられます。
幕末期における相楽家の家族構成も「宗旨手形」などによって少しずつ明らかになってきました。それに加えて、相楽治左衛門貞幹(9代目)の娘・おしげは、安政2年(1855)4月に三春町の橋元家へ嫁入りし、そのときの婚礼についても当時の記録から判明します。
今回の講座では、相楽家文書によって須賀川町の郷士や、幕末期の家族や婚礼などに注目しましたが、これを基礎としてさらに詳しい史実を追究する予定です。〔荒武賢一朗〕

 

 

 

 

 

 

 

【写真1】 相楽家文書65「御用留帳」表紙

 

 

 

 

【写真2】 相楽家文書61-2「三春橋元四郎平忰同柳助妻ニ遣候調」冒頭部分
*安政2年3月28日の「結茶」、4月18日の「結納」などの状況を記しています。

【開催中です】
須賀川市立博物館令和6年度秋季企画展
定信が画臣 文晁・田善・白雲~郷土の画人と文化~
2024年10月22日~12月1日
https://www.city.sukagawa.fukushima.jp/bunka_sports/bunka_geijyutsu/hakubutsukan/1001226/index.html

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コラム:郷士のプライド ―須賀川市相楽家文書調査から―
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市内古文書の調査
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