コラム:中国農村の石碑をどう読むか(石井弓)

「廟の東、岩の隙間に霊泉わずかに滴る。一勺の水を取れば、大旱魃を救う。廟の右に座するは趙氏の孤児、その霊験は一層あらたかだ。密かに背負って行く者あれば、また能く旱魃を救う」。山西省盂県蔵山に残る石碑『神泉里蔵山廟記』(1172年建立)には、当時の雨乞いの様子が刻まれています。現在に至るもこの地域では、歴史上の人物である趙武(趙氏の孤児、前597-541)を雨の神として崇め、その小さな像を村へ運んで祈祷する雨乞いが行われています。その行為が900年近く変わっていないことを、私たちはこの碑文から知るのです。
中国では中華人民共和国(1949年)以後、「破除迷信」(迷信を取り除く)運動が始まり、迷信を捨て科学を推進する政策が執られました。続く「文化大革命(1966-76)」には「破四旧」(古い思想、文化、風俗、習慣を打ち破る)のスローガンのもと、多くの廟や神像が破壊されたのです。村の廟に置かれた石碑も倒され、橋梁建設に使われました。この時期石碑に刻まれた記録の多くが失われ、上に挙げた碑文は奇跡的に残ったひとつと言えます。
オーラルヒストリーの調査によって、改革開放(1978年)以降、それまで禁止されてきた雨乞いや伝統演劇が雨後の筍のように各地で再開したことが分かってきました。村人たちは、30年以上行えなかった伝統的活動をいかに想起し継承するか、苦悩と奮闘を語ります。壊された石碑の断片に、過去の村名を確認する人、語り継がれた物語の根拠を見出す人、そして新たな石碑を建立する人。黒石窑村では、石碑を立てる資金がないので、廟内の壁に石碑を描き記録を残しました。たとえ絵であっても、石碑であることが、村人に真実を担保するのです。南社村では募金によって苦労して建てた石碑から、ひとりの名前が削らました。その人物は廟の木を切って自分の棺桶を作ったとのこと。碑は公の記録であり、削られた痕跡を含めて村の出来事を数十年間伝え、これからも伝えていくのです。
(東北大学東北アジア研究センター准教授)

 

(写真1)破壊された石碑に村の記述を探す村人。石碑は水溜めの蓋に使われていた。

(写真2)黒石窑村の廟内の壁に描かれた石碑

(写真3)南社村の石碑。中央下の名前が削り取られている。