1月18日:山形県立博物館令和6年度博物館講座第6回開催報告(荒武賢一朗)

部門では山形県立博物館主催の博物館講座に講師を派遣しています。今年度は全7回のうち、第1回(2024年6月8日:竹原万雄助教)と第6回(2025年1月18日:荒武)の2回を担当いたしました。
今回は、「地域をかけめぐる江戸時代の商人と流通」と題して、現在の山形県各地に伝わる歴史資料から当時の様子をご紹介しました。そもそも江戸時代の「商業」や「商人」という言葉を聞いて、みなさんはどのようなイメージをお持ちになるでしょうか(これは当日講座に参加された方々にもお尋ねしました)。日本史の授業で勉強されたのは、たとえば株仲間・経済政策(重商主義など)、あるいは三井越後屋などの「豪商」たち、さらには身近な存在である魚屋・八百屋といったように、「商内(あきない)」にかかわる多種多様な人たちが含まれています。
山形県で江戸時代からの特産物を調べてみると、紅花・青苧(あおそ)を筆頭に「山のもの」「海のもの」を由来とする商品がたくさん挙げられます。その一方で、ほかの地域から輸入される物も古手(古着など)や木綿の繊維関係から、塩・鉄などに至るまで取り扱われていたようです。
このような商品取引には、山形・米沢などの城下町商人のほか、数多くの人びとが携わり、地域経済を動かしていたといえます。『米沢市史第3巻 近世編2』(1993年刊)によると、弘化3年(1846)の米沢には約1,400軒以上の商人・職人が存在するとされています。軒数の多い順に並べてみると、商人では煙草屋57・穀屋50・古手屋47・油屋39・荒物屋39、職人は鍛冶44・大工43・桶大工41・たばこ切38・染屋30、となります。また、庄内地方では「小商体(こあきないてい)之者」とする行商人たちが多数いたことも確認できます(『山形県史資料篇17』1980年刊)。
商売をする人、そして彼らが手がける品物は、各地をかけめぐる―。熱心に耳を傾けてくださった受講者の方々、円滑に進めていただいた博物館のみなさんに深く御礼を申し上げます。

 

 

 

 

 

(写真)文久3年(1863)9月 「荷請預り証文之事」(山形県立博物館所蔵福嶋治助家文書5A011456)
山形の紅花商人福嶋治助が買い付けた仙台領大川原(現・宮城県大河原町)産出の紅花を江戸大伝馬町(現・東京都中央区)の村田久蔵へ送付することを記しています。

 

当日の様子は下記をご参照ください。
山形県立博物館 博物館ブログ「第6回博物館講座を開催しました。」

第6回博物館講座を開催しました。