コラム:日本経済を支えた木材化学工業~日本木槽木管株式会社の歩み~(松本洋幸)
近代水道が普及する明治以前、日本では木樋・石樋などを活用した旧水道が機能していたことはよく知られています。しかし、今から100年ほど前に、木製の水道管が使われていたことを知る人は少ないでしょう。第一次世界大戦(1914~1918年)中、海外からの鉄製品の輸入が途絶して鉄管が高騰したため、一部の都市では代用品として木管を使用することになりました。その製造販売を行っていたのが、大日本水道木管株式会社(現在の日本木槽木管株式会社)でした。
1912(大正元)年に創業した同社は、現在の横浜駅に近い鶴屋町に約1500坪の工場を構え、最盛期には100名を超える労働者を擁していました。製品は内径1~16インチ(2.5~40.6cm)から、最大6間(10.8m)まで、様々なサイズがあり、1日400本もの製造能力を有していました。同社は、東京の玉川水道株式会社や、川崎町(現在の川崎市南部)などに、大量の水道用木管を納入していました。
1914年のカタログによると、納入先は東京近郊に限らず、全国に広がり、用途も上下水道のほかに、鉱山の鉱物洗浄、灌漑用水・排水路、温泉引湯、水力発電、ガス排気管などが挙げられています。鉄管に比べて廉価で、軽量のため運搬や敷設・加工が容易で、温度変化や化学変化を受けにくいなど、木管の特性を生かして様々な方面で使用されていました。
大正後期から昭和初期の不況期には、同社は製品の主力を木管から木槽へと移し、保温性・耐酸性・耐アルカリ性に優れた木製水槽を開発して、京浜工業地帯の化学工場に売り込みます。さらに第二次世界大戦後には、造船所・製鉄所向けに大量の納材を行う一方、工場用水の冷却塔、高層ビルの受水槽、醤油・酒造等の醸造用木槽など、時代のトレンドを掴みながら、様々な需要に応えていきます。
同社の歩みは、木材化学工業が日本経済の中で果たした重要な役割を再認識させてくれます。
(九州大学教授)
図版1 川崎町創設水道で使用された木製導水管(大日本水道木管株式会社製) 川崎市上下水道局所蔵
図版2 大日本水道木管株式会社の広告 『工業之大日本』11-5(1914年5月)

