コラム:イスラームと儒学――『回儒学』による文明の融合(志宝 ありむとふて)

中国イスラーム社会共同体の歴史的発展はテュルク人、中央アジアムスリム移民の変化を通して成り立ってきました。明清王朝時代はムスリム共同体が数百年かけて本土化した時期であり、その意識及び文化思想発展のカギとなる時期といえます。この時期の学術界にはイスラーム学と儒学などに精通した多様な文化思想体系の思想家と学者が登場します。イスラームと儒学という二つの文化気質の知識分子を有し、中世期イスラーム思想の文化を基礎とするとともに、中国の儒学、特に宋明儒学の全面的な影響を受けながら、新しい学説体系――「回儒学」が生み出されました。「回儒学」は「漢語文で布教宣教(イスラーム教-筆者)を主張するとともに、「以儒詮經」(儒をもって経を説く)をより強く主張した。」(金宜久『中国伊斯兰探秘』(中国イスラーム探秘)、東方出版社、2010年、6頁)。明清時代の代表的学者である王岱輿(及び弟子の伍連城)、張中、馬注、伍遵契、劉智などによる著作も豊富であり、その範囲も非常に広いです。
「回儒学」の形成と発展は、それぞれが現行の文化への移り変わりの理論として大きな役割を担っています。「回儒学」は外来のイスラム哲学を基礎として発展してきたものですが、元の「イスラム」文化特質も保存してきたという側面もあります。しかし、同時にその伝播過程において文化創新が起こったことにより、深く刻み込まれることになる新しい学説体系が生じました。イスラム哲学が中国に伝播する過程において、イスラム哲学と宋明儒学にはいくらかの一方向的な影響と、相互に関係する非常に大きな影響が生じてきたといえます。とくに真摯な批判、儒家理学思想内容の吸収、そしてその本体に深刻な文化変異をもたらしたことなどが挙げられます。「回儒学」は回回民族の共同意識形態として形成された重要な歴史事項の一つなのです。(人間文化研究機構 人間文化研究創発センター 研究員、東北大学 東北アジア研究センター 特任助教)

 

 

 

 

 

 

(写真)『イスラームと儒学―『回儒学』による文明の融合』カバー

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