コラム:安房から江戸に進出した商人-仙台商人との関わり-(宮坂新)

現在の千葉県館山市館山にあたる安房国館山町には、慶長19年(1614)まで、里見氏の居城である館山城が置かれていました。館山城は、里見義康・忠義の2代にわたって居城とされましたが、忠義の転封により、廃城となっています。義康・忠義父子は館山城下町を整備し、町の取締りや流通上の規制を城下の商人に委任しました。その代表的な存在が岩崎与次右衛門という商人です。
岩崎家については、里見氏時代の活動が知られているものの、里見氏転封後の経営や営業内容については、あまり検討されていません。そこで、館山市立博物館で保管している岩崎家文書の中から、江戸に進出した人物を取り上げ、歴史資料学研究会第27回例会で報告させていただきました。
この結果、岩崎家では、国元(館山中町)で本家の与次右衛門家が名主を務める一方、遅くとも18世紀半ばには、親族の宇兵衛や利兵衛が江戸に進出していたことを確認しました。さらに興味深いことに、このうち利兵衛は仙台大町の商人である高橋彦惣と関わりを持っていました。高橋彦惣は、天明の飢饉の際に仙台藩から他領米の買付けを命じられており、有力商人と言えるでしょう。
写真の古文書は、天明2年(1782)に高橋彦惣と芳村太郎兵衛が岩崎利兵衛に対し、「仙台家中無役前金方」の「主立(おもだち)」を依頼したものです。『仙台市史』を参考に、この「仙台家中無役前金」は、仙台藩の買米制における「侍前金(さむらいまえきん)」(前渡金による武士からの余剰米買上)のことと推測しました。つまり、前金方会所では商人などからの出資金を「前金」として藩士から米を買い入れ、それを江戸深川の蔵屋敷で販売し、売却金から返済金を差し引いた残りを藩の利益としていたと考えられます。これらの事務を取り扱う前金方会所の中心人物を、岩崎利兵衛が依頼されているのです。今回の報告をきっかけに、思わぬところで館山と仙台とのつながりを知ることができました。(館山市立博物館 学芸係長)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真)館山市立博物館保管「岩崎家文書」K11