コラム:貞山堀と東北大学(曽根原理)

貞山堀は、藩政期から近代にかけて、内陸の交通・流通整備のため造られた人工運河です。最終的には北上川から阿武隈川まで約60km、国内最長の運河でしたが、完成に前後し舟運が衰退し、現在は産業利用よりも自然景観の保護などに関心が移っています。この運河をめぐる官民運動や(宮城県HP参照)、関連書籍が刊行される一方で、東北大学との関係は意外と知られていません。
戦後、東北大学に包摂される旧制第二高等学校(二高)では、塩釜艇庫を拠点として、多くの生徒がボートに親しみました。休日に艇上の人となり、風光明媚な松島湾で過ごす者も少なくなかったそうです。学内レガッタが一大行事となり、そこで活躍した選手が学校の代表として対外試合に臨みました。そうした状況のもと、生徒たちが艇を借り出し、遠漕を敢行することもありました。貞山堀を北上して平泉まで、あるいは南下して丸森まで、中には外洋に出て金華山を巡る豪の者もいました。現在より艇の構造が頑丈とはいえ、明治期に何度か遭難事件も起こっています(谷澤直人『朝風にオールをとりて』東北大学出版会、2009年)。
二高端艇部の伝統をうけた東北大学漕艇部も、当初は塩釜を拠点とし、ローマ五輪日本代表などの成績を挙げました。しかし養殖漁業の発達や海洋汚染などのため、1973年前後に仙台空港近くの貞山堀最古完成部分(伊達政宗が家臣に命じ掘削を図ったという「木曳堀」)に拠点を移しました。当初は地元の公民館に間借りなどの半ば流浪生活でしたが、大学選手権エイト3連覇(1978-80年)や世界選手権日本代表などの活躍に加え、二高の伝統を継承する学内レガッタ「海上運動会」を支え、地元クルーを指導して国体出場を果たすなどの活動が認められ、1982年に名取艇庫が完成。2011年の津波で被災したものの、2021年春にようやく新艇庫が再建されました。いま、貞山堀と東北大学の新たな歴史が始まろうとしているのです。
(東北大学学術資源研究公開センター史料館)

 

 

 

 

 

 

第35回海上運動会(1984年5月)学生や教職員など100クルー以上が参加した
(東北大学史料館提供)

 

 

 

 

 

 

 

岩沼新艇庫(2021年3月小関克郎撮影)
(東北大学漕艇部提供)

◎参考URL
貞山運河の紹介(宮城県公式ウェブサイト)
https://www.pref.miyagi.jp/site/unga-portalsite/teizanunga.html
谷澤直人『朝風にオールをとりて』(東北大学出版会書籍情報)
https://www.tups.jp/book/book.php?id=207