コラム:『封内土産考』筆者・里見藤右衛門について

里見藤右衛門によって寛政10年(1798)に著わされた『封内土産考』は、仙台藩領内の物産を122種取りあげて解説した書物です。翻刻されて鈴木省三編『仙台叢書 第三巻』(仙台叢書刊行会、1923年)に収められており、研究上しばしば利用されてきました。しかしながら、筆者の藤右衛門については医者・相原友直(三畏)の子であることを除き、詳しいことはわかっていませんでした。
そのようななか、部門で調査を続けている加美町塩沢家文書のなかに、親類にあたる里見家の史料が含まれており、藤右衛門に関する史料も残っていることがわかってきました。「里見藤右衛門」と記されているだけでは断定できませんが、同文書には相原友直の著作や漢詩を記した史料もあり、同名の別人物である可能性は低いでしょう。藩庁に提出する身上書のような書類である「一季書出」「不時一季」の控えからは、藤右衛門の基本的な情報を読み取ることができます。記載された年齢から逆算して、生年は元文5年(1740)とわかります。里見家には婿養子として入嗣し、実名は「定式(さだつね)」、仙台藩伊達家に次之間番士として仕え、知行高は4貫220文でした。仙台屋敷は「小田原山本丁車通より東へ六軒目南側」(現仙台市宮城野区)、在郷屋敷は刈田郡矢付村(現蔵王町)に所在していました。役職は、寛政元年(1789)の不時一季控えでは「御物成方主立役」、寛政10年以降の一季書出控えでは「御郡方横目」「御境横目」とあります。文化元年(1804)12月には嫡子・兵蔵が跡式相続していることから、その少し前に没したものと判断できます。
塩沢家文書には、「定式」という蔵書印が捺された藤右衛門の蔵書もあります。関係史料の分析を通じて、藤右衛門の人物像や情報収集のあり方、ひいては『封内土産考』成立の背景に迫ることができるかもしれません。塩沢家とともに里見家に対する関心も念頭におきながら、引き続き塩沢家文書の調査に取り組んでいきます。(藤方博之)

 

 

 

 

 

里見藤右衛門の不時一季控え(加美町塩沢家文書34-44-1-12、部分)

 

 

 

 

蔵書印「定式」(同35-88、部分)