コラム:ハンセン病療養所における戦後自治会の出発(松岡弘之)
1930年に初の国立ハンセン病療養所として開設された長島愛生園(岡山県瀬戸内市)の歴史について研究しています。愛生園でも入所者の高齢化が進むなかで、現在約70名となった入所者のこれからや歴史の継承など、難しい課題に自治会が取り組んでおられます。
愛生園の自治会はもともと1936年に自治を求めた園への抗議の結果として生まれました。入所者の利害は複雑に交錯し、自治会の運営もしばしば混乱しましたが、気仙沼市出身の鈴木重雄など、園と粘り強く交渉して成果を挙げる入所者も現れるようになりました。しかし戦争が始まると自治は「返上」され、物資にも事欠くなかで、入所者は病をおして食糧増産や奉仕作業に取り組むことを強いられました。
森田竹次「隣組長会控帖」(長島愛生園『愛生』編集部蔵)
今回ご紹介するのは、戦後の愛生園で自治会活動に参加するようになる森田竹次(1910~77年)という入所者のメモです。「隣組長控帖」と題された手帳で、自身が参加した会議の様子や心境などが綴られています。1942年に愛生園に入園した森田は、戦争中に障害が重くなったため「不自由者」となり、患者の付添を受けながら敗戦を迎えました。働くことのできる軽症者に比べ、働けない不自由者への処遇は食事も含めて劣悪なものでした。手帳からは、森田たち不自由者が戦後に団結し、軽症者や園に対して改善をつよく求めたことがうかがえます。
こうして1947年5月に愛生園で再建された自治会には、不自由者たちが新たな担い手として加わり、園や国に対して入所者の置かれた苦境の改善を迫っていくのでした。戦前と戦後のつながる部分と変化した部分―社会の民主化や新薬の登場なども含めて―に注意しながら、自治会運動の展開過程を通じてハンセン病の歴史を考えていきたいと思っています。
ちなみに、この手帳は島田等という別の入所者が、先輩の記録として大切に保管していました。島田が亡くなった後は、療養所の機関誌『愛生』の編集部で保存されています。療養所側の記録については公文書の適切な保存・管理にむけた議論が進んでいますが、入所者のみなさんの個人的な記録についても、調査や活用が広がることを願っています。各療養所には歴史展示施設も開設されており、私も東北新生園(登米市)の「しんせい資料館」をいつか訪問したいと思っています。(岡山大学学術研究院社会文化科学学域 准教授)
【参考文献】
松岡弘之「森田竹次「隣組長会控帖」について―戦後長島愛生園の不自由者たち―」『岡山大学文学部紀要』77巻(2024年) http://doi.org/10.18926/okadai-bun-kiyou/67922
