コラム:歴史学者・喜田貞吉の雑誌『東北文化研究』刊行事業(石川光年)
著名な歴史学者である喜田貞吉(1871~1939)は、まだ設置されて間もない東北帝国大学法文学部に講師として招聘を受け、大正13年(1924)に仙台へやって来ました。喜田といえば、法隆寺再建・非再建論争や南北朝正閏問題などで史学史上名高い人物ですが、旺盛な研究活動でも知られ、生涯に発表した論文の数は千を超えるといわれています。すでに学界では有名人となっていた喜田が仙台でまず行ったのは、東北地方の歴史研究を推進するために奥羽史料調査部を設置したことと、東北地方および北海道・新潟県の歴史・考古・民俗などの研究発表の場として雑誌『東北文化研究』を創刊(第1巻1号は昭和3年〔1928〕9月発行)したことでした。この『東北文化研究』という雑誌は残念ながらわずか10冊を刊行しただけで停刊となってしまったのですが、しかし東北地方の歴史・民俗研究が未開拓であった昭和初期当時にあって、そのような学術雑誌の刊行は画期的でした。
東北の歴史・民俗研究に力を尽くした喜田ですが、自身は東北の出身ではなく徳島生まれです。一昨年のことになりますが、徳島大学附属図書館所蔵の「喜田貞吉関係資料」を調査する機会があり、その資料群の中にある『東北文化研究』の購読者名簿を実見することができました。名簿を見ると、伊木寿一・魚澄惣五郎・中村直勝・三上参次など著名な歴史研究者や南方熊楠など在野の研究者のほか、鳩山一郎(のちの内閣総理大臣)や高田早苗などの政治家、岩波茂雄(岩波書店創業者)などの著名人が購読者として名を連ねていること、一方で高等学校・師範学校・中学校・小学校などの教員が多くいること、また一般人(会社員・商店主あるいは女性)が購読していたことなどがわかります。喜田の個人雑誌という性格の強い『東北文化研究』ですが、喜田のネームバリューなどもあいまって、幅広い購読者層を獲得していたのではないかと考えることができるでしょう。
奥羽史料調査部関係資料(考古学管理資料)/考古学 教授 鹿又 喜隆 | 東北大学 文学研究科・文学部 デジタルミュージアム「歴史を映す名品」
https://www.sal.tohoku.ac.jp/digital_museum/05.html
『東北文化研究』第1巻第1号表紙
喜田貞吉像(徳島県小松島市・櫛渕八幡神社、筆者撮影)

