コラム:痘苗輸送に協力せよ~幕府箱館奉行から白河藩への「御達」を読む~(永野正宏)
1980年にWHO(世界保健機関)が世界根絶宣言を行った天然痘。その予防接種(種痘)の接種材料である痘苗輸送に関する史料を紹介します。
安政4年(1857)以降に江戸幕府遠国奉行の箱館奉行によって、管轄の北海道・樺太で種痘が行われました。種痘医は江戸町奉行の人選により、桑田立斎、深瀬洋春とその弟子たちが派遣されました。
当時用いられていた痘苗は、天然痘感染によってできた瘡蓋である「痘痂」もしくは同じく感染による水疱から出る膿汁である「痘漿」でした。痘苗を長距離輸送する際は、瘡蓋を瓶に入れて送る方法がとられましたが、接種の成功率が高いのは、「植え(種え)継ぎ」とも呼ばれる人伝方式を利用した痘漿でした。これは小児に痘漿を使って種痘を行い、7日から8日目の膿汁を別の小児に接種し、これを繰り返して痘漿を維持するというものです。立斎は痘漿を植え継いで江戸から箱館まで痘苗を運ぶ方法をとりました。
その概要が国立公文書館所蔵の『安政雑記』の中に記されています。箱館奉行竹内保徳から白河藩に対して、痘苗植え継ぎのための被種痘児の確保を要請した文書ですが、それによると江戸から白河まで種痘済みの小児を連れて行き、白河で別の小児へ接種し、その小児を仙台まで召し連れていく。そうして盛岡、田名部で接種を繰り返して箱館まで痘漿を維持するというものです。このために種痘未接種の小児5~6人と医師1~2人を立斎が到着する前に宿に呼び集めること、小児の中の1人を次の接種地に連れて行くので説明をしておくこと、小児と母親、付添者の旅費は立斎が支払うので費用を調べて立斎に伝えることを白河藩に依頼しています。
このように白河藩・仙台藩・南部藩の協力があって、北海道・樺太での種痘が実施できました。(文化庁)
【写真1】「安政雑記」(種痘に関する通達箇所)国立公文書館所蔵
【写真2】同上

