コラム:横浜発のジャパン・ティー(神谷大介)

横浜開港資料館には輸出用日本茶(JAPAN TEA)の商標ラベル(蘭字)を貼り込んだ帳面が残されています。商用の見本として利用されていたものでしょう。その中にスミス・ベーカー商会の商標ラベルを確認することができます。「HALF POUND」(30~40ポンド入)、グレードは「CHOICEST」(極選)、ブランド名は「BOUQUET」(花束)とあり、「NATURAL LEAF」「YOUNG HYSON」と新鮮な若芽を摘んだ緑茶であることを謳っています。
1859年7月1日(安政6年6月2日)に横浜が開港すると、居留地には貿易取引の拠点である商館が建ち並びました。1868年1月に開業したスミス・ベーカー商会は、横浜最大の製茶輸出の専門店であり、「アメリカ三番館」の呼称で知られました。当初は居留地の72番地、1871年には178番地に移転しています。178番地は波止場(現大さん橋)方面に向かって伸びる大通り(現日本大通り)に面した好立地でした。
人びとが行き交う大通りに建つ商館は、幕末から明治にかけて活躍した3代歌川広重の浮世絵「横浜亜三番商館繁栄之図」に描かれました。馬車に乗る外国人、日本の商人・職人たち、運ばれる荷物。活況を呈する明治初期の横浜。そのランドマークの一つがスミス・ベーカー商会だったのです。
幕末のある日、伊勢出身の青年が商会に勤務するようになりました。横浜財界の中心人物となる、のちの大谷嘉兵衛です。大谷は親戚の出店にともない横浜に進出、スミス・ベーカー商会勤務後は独立して開港場の海岸通りに大谷商店を開業、横浜の茶貿易のリーダへと成長していきます。
大谷は独立後もスミス・ベーカー商会の番頭を続け、多くの日本茶をアメリカへと売り込んでいきました。当時のアメリカではコーヒーが喫茶の主流でしたが、一方で砂糖やミルクを入れて日本茶を飲む習慣も広がりをみせていました。横浜・サンフランシスコを結ぶ太平洋航路や大陸横断鉄道による輸送ルートの整備が出荷を後押しし、日本茶は「JAPAN TEA」として親しまれることになったのです。(横浜開港資料館調査研究員)

 

 

 

 

 

 

 

スミス・ベーカー商会の商標ラベル 横浜開港資料館所蔵

 

 

 

 

 

「横浜亜三番商館繁栄之図」3代広重 明治4年 横浜開港資料館所蔵