コラム:松平定信の嫁取政策(渡辺哲也)

江戸時代、老中として寛政の改革を行ったことで知られる松平定信は、現在、NHK大河ドラマで放送中の「べらぼう」に重要な役どころで登場し、注目を集めています。
白河藩主でもあった定信は、当時白河藩領だった須賀川町(今の須賀川市)や近隣の村々でも数々の取り組みを進めました。今回はその一端を紹介します。
定信が政策の基軸の一つに据えたのが農村の復興でした。この時、大きな障害となっていたのが間引きの風習です。これにより、特に女子の人口が少なくなり、未婚の男性が増加し、出生数が少なくなるという悪循環が生まれていました。これを打破するために取られた政策が、白河藩の飛び地だった越後から結婚希望者を募ることでした。寛政元年(1789)にこの政策を実施した際に中心となったのが鏡沼村(今の岩瀬郡鏡石町鏡沼)の大庄屋だった常松元貫(つねまつもとぬき)です。元貫が派遣した下代2名は、およそ一ヶ月かけて応募を呼びかけ、14名の女性を連れて帰りました。また、これとは別に新発田藩から白河へ売薬を配りに来た1名が希望し、合計15名となっています。女性たちは一旦元貫が預かり、男性たちの素性を確認したうえで、結婚の仲介をしました。
須賀川市立博物館で収蔵する「越後引越女縁付覚」には、女性の出身地や名前、年齢と併せて、嫁ぎ先の村や夫の名前、その時の祝い金などが記されています。【写真2】で紹介しているページには29歳の「そよ」という人が、「久来石村」(今の鏡石町久来石)「音五郎」と結婚し、祝い金として2両3朱をもらったことが、15歳の「みの」という人が「当村」(ここでは鏡沼村のこと)の「林右衛門」と結婚し、2両1分2朱をもらったことが分かります。(須賀川市立博物館学芸員)

 

 

 

 

 

 

 

【写真1】「越後引越女縁付覚」

 

【写真2】「そよ」と「みの」に関する記述