コラム:急に現れた「杉山仕込帳」-いつの時代も火事は面倒事-(吉田翔瑛)

近頃、卒業論文の執筆のために近世の下北半島に関する史料をあれこれ見ております。ある日、青森県史デジタルアーカイブシステムで「風間浦村鈴木家文書」を見ていましたところ、「イコクマ杉山仕込帳」という史料が目に留まりました。
鈴木家は蛇浦村(現 風間浦村)の船問屋で、俵物の集荷の下請け人としてその実務を行っていました。また、自前の弁財船で箱館や新潟を往復して、昆布などの海藻類及び米や日用品を輸送していたようで、それら商品の売買や俵物などの仕込みに関する史料が多数を占めています。
私はこの史料の存在が不思議でした。鈴木家では商品の売買や海産物の仕込みに関する史料が多数を占める中で、なぜ急に「イコクマ杉山仕込帳」が出てきたのでしょうか。しかも時代も近世の後期と下北半島の林業の最盛期とは程遠いころです。
色々調べたところ、これと関係がありそうな出来事がありました。天保9年(1838)4月11日に大畑のヒバ林で火災が発生し、計5ヶ山で約1万5,000石が焼失しました。その消防費用が多額であったため、田名部通の村々に償わせたというのです。「イコクマ杉山仕込帳」の作成は表紙を見るに天保9年4月27日であり、この出来事の直後になります。これらの日付が非常に近いことをただの偶然とは言い難いでしょう。史料の内容は、木挽きへの手当と材木の寸法及び数量が書かれています。鈴木家が火災の消防費用を、地元住民に手当てを与えたうえで動員して、材木を仕込んで売ることで償い分を調達したと考えるのが自然であるように思えます。自分たちとは全く関係のない火災であるのに、償いに連帯しなければならなかったとしたら、可哀想だというほかありません。他の家の史料からこれに関係するものを見つけられれば、より正確な理解ができるようになり面白くなると思います。
最後に、あと1ヶ月もすれば寒い冬が来ます。皆様も火事にはお気を付けください。(東北大学文学部人文社会学科日本史専修)

 

 

 

 

 

 

 

(図)「地理院地図」(国土地理院)( https://maps.gsi.go.jp/ )をもとに筆者作成

 

【参考文献】
・むつ市史編さん委員会編『むつ市史 近世編』(むつ市、1988年)

【関連ウェブサイト】(画像を閲覧することができます)
・「イコクマ杉山仕込帳」 (風間浦村鈴木家文書、青森県史デジタルアーカイブシステム 古文書・文献史料データベース所収)
https://www2.i-repository.net/il/meta_pub/G0000004doc_55B-034