文書(アーカイブ)史料によるモンゴル遊牧民社会の歴史的研究(岡洋樹)
モンゴル史、あるいは広く北アジア遊牧民史の分野で文書史料が利用できるようになるのは、17世紀以後のことです。遊牧民の歴史というと、当事者が残した文献資料が極めて少なく、いきおい隣接する定着文明が残した間接的な情報の記録に頼ることが多いのですが、モンゴルが清の支配下に入ってからは史料情況が全く変わります。これは清朝がモンゴル統治に文書行政を導入・整備したことによりますが、十分とは言えないまでも、膨大な数の公文書がモンゴル国や中国の文書館に保存されています。それも旗、中国でいえば県レベルの地方の役所の文書が残っています。
当時モンゴルではいまだ広く遊牧が行われていましたから、そこから得られる情報は、それ以前の遊牧民の社会を理解する上でも貴重な示唆を与えてくれます。また清はマンジュ(満洲)人が建てた王朝です。マンジュ人は歴史的にもモンゴルと深い繋がりを持っていました。清は中央の政府とモンゴルの諸地方との行政統治ではマンジュ語を使いました。清の国語であり、清朝がモンゴル統治で用いたマンジュ語はモンゴル語に非常に近い言語です。ですから私達は、漢文の史料を使うのとは違い、この時代の歴史をモンゴル語やマンジュ語の文書で、彼らの言葉の語感に即して研究することができるわけです。
近年、中国やモンゴル所蔵の文書が外国の研究者にも利用可能となり、遊牧民社会の理解は急速に充実しつつあります。東北大学でも、東北アジア研究センターのモンゴル・中央アジア研究分野の教員及び環境科学研究科内陸アジア地域論研究分野の卒業生が多くの成果を出しています。今後の研究の進展が期待されます。(東北大学東北アジア研究センター教授)
(写真)清代文書を用いた本学関係者の研究成果