コラム:台南で翻る日の丸―飛虎将軍・杉浦茂峰―(顧婕)

 当部門にて「大河原町金ヶ瀬鈴木弥五右衛門家文書」の調査を進めている中、「日清戦争直後の台湾出役従軍日誌」という鈴木弥五右衛門(16代目)の弟の日記に巡り合いました。日記の内容と背景を明らかにするため、台湾の南半島を訪れました。この研究はまだ完了していませんが、調査の過程で日本軍を中心としたもう一つの物語をみつけました。
 台南市安南区に位置する小廟では、夕方の五時頃に「海ゆかば」が流れています。廟の正面には「鎮安堂・飛虎将軍」と書かれ、供物台の両端には中華民国と日本の国旗が佇立しています。小廟のご本尊は「飛虎将軍」であり、両脇には同分霊が祀られています。これは台湾人にとっても馴染みのない神です。
 第二次世界大戦後、海尾寮集落(安南区)ではある噂が広まりました。「白い帽子と服を着た人が畑を歩いていた」または「白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が枕元に立っている夢を見た」と不思議な体験をした人が数名いました。村人たちが海尾朝皇宮の保生大帝にお尋ねしたところ、この者は戦時中に戦死した亡霊であると判明しました。その後、この亡霊は集落を戦火から救うため、自らの命を犠牲にした飛行士だとわかり、当時の台湾における最大の感謝の表現として祠が建てられました。この飛行士の正体は1944年の台湾沖航空戦において出撃した杉浦茂峰兵曹長(その後、少尉に特進しました)でした。
 10月12日、杉浦少尉は台南上空でアメリカ空軍を迎え撃ちましたが、衆寡敵せず撃墜されました。その場で発火した零戦から脱出すれば助かりましたが、杉浦少尉は村町を巻き込まないよう、住民のいない畑へと飛び去り、壮絶な玉砕を遂げました。享年21歳でした。
 このようにして、「飛虎将軍廟」はその魂を鎮め、村を守ってくれたことに対する感謝を込めて1971年に建立されました。「飛虎」は戦闘機を意味し、「将軍」は杉浦茂峰氏への尊称で、「飛虎将軍廟」では今でも朝に「君が代」を流しながら、台湾と日本の橋渡しとして閑かに存在しています。(東北大学文学研究科博士課程後期・上廣歴史資料学研究部門事務補佐員)

 

 

 

 

 

 

 

(写真1)飛虎将軍廟

 

 

 

 

 

 

(写真2) 飛虎将軍廟内