コラム:「江戸時代の遺産」と街の近代化(酒井一輔)

2024年から新1万円札の顔となる渋沢栄一。「日本資本主義の父」と呼ばれる彼の業績は、大河ドラマなどを通じて世間一般に広く知られるようになっています。しかし、そんな彼の輝かしい経歴の数々のなかで、明治7年(1874)11月、「東京会議所」の「共有金取締」という一風変わった役職に就いたことは、あまり知られていないのではないでしょうか。
この「東京会議所」とは、江戸から改称された東京の街の「公共ニ関スル事務ヲ調理」する半官半民の機関(明治5年(1872)11月設立)です。具体的には、道路や橋の修築、銀座ガス燈の設置、商法講習所(後の一橋大学)の設立、救貧のための養育院の創設などを行いました。もちろん、これらの事業を実施するには多額の資金が必要です。その原資となったのが「共有金」です。この「共有金」は、遡ること約80年前の江戸時代に創設された江戸の街の積立金を起源としています。寛政の改革を推進した幕府老中・松平定信。彼が命じて作らせた「七分積金」。こう聞くと、ピンとくる方もいるかもしれません。松平定信が生み出した「江戸時代の遺産」が、渋沢栄一らの手によって明治期の東京の近代化に一役買ったというわけです。
こうした「江戸時代の遺産」が明治の近代化を支えたという事例は、江戸/東京に限られません。実は仙台にも類似のものがありました。「仙台市旧市井二十四町共有日掛銭」(以下、「日掛銭」)です。「日掛銭」は、弘化2年(1845)に備荒貯蓄などを目的に創設された、仙台城下の町人たちの共有金です。「旧市井二十四町」とは、仙台城下の町人地を構成する24の町(大町や肴町など)を指しています。この「日掛銭」は、戊辰戦争や維新直後の混乱、散逸の危険を乗り越えて、昭和2年に至るまで旧仙台城下24ヶ町住民の共有財産として仙台の近代化に貢献しました。この「日掛銭」の沿革を記した記念碑は、榴岡天満宮の境内に現在もひっそりと佇んでいます。(東北大学大学院経済学研究科)

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真1)榴岡天満宮境内にある記念碑

 

 

 

 

 

(写真2)記念碑の部分拡大。上部に「貯金沿革碑」とあるのがわかる。