江戸時代の村落を知る ~須賀川市桑名家文書「御用留」~(荒武賢一朗)

先月末、本サイトに「上廣歴史資料学研究部門デジタルコレクション」を開設しました。
https://uehiro-tohoku.net/works/2022/4134.html
そのうち、今回は須賀川市立博物館所蔵桑名家文書21「御用留」(文政3・1820年作成)から、少し内容をご紹介いたします。

◎上廣歴史資料学研究部門デジタルコレクション 桑名家文書21「御用留」
https://uehiro-tohoku.net/release/3653.html
◎参考:別冊史の杜第2号・第3号【第2号PDF】【第3号PDF

御用留(ごようどめ)とタイトルを付けた帳面(ノート)は、全国各地に存在します。辞書で調べてみると、江戸時代に役所や町・村で記録された公用文書の控え(回覧文書を写したノート)であること、また行政機構や人々の生活実態を知る手がかりになる、といった説明があります。桑名家は陸奥国岩瀬郡滑川村(現・福島県須賀川市)の庄屋を務めていましたので、上記の「御用留」は村のリーダーが役所の通知や、近隣で起こった出来事をまとめた文書ということになります。

<事例1:コマ番号8~9>文政3年正月、滑川村の大堰御普請を願い出る。
滑川村庄屋・紋右衛門たちは、滑川村に農業用水を供給する大堰が前年の洪水で押し流れたため、役所へ「御普請(ごふしん)」の願書を提出しました。この「御普請」とは、領主役所の予算でおこなわれる工事のことです(一方、「自普請(じふしん)」は村落が費用負担)。ほかの年次の御用留にもたびたび水害によって大堰やため池が破損したので、庄屋たちが領主側に御普請を求める文面があり、災害復旧を目指す百姓たちの動きがわかります。

<事例2:コマ番号12~14>文政3年2月、歩行困難となった旅人を搬送する。
陸奥国桃生郡深谷矢本村(現・宮城県東松島市)の百姓・徳蔵は、伊勢神宮へ参詣する途中、文政2年12月27日に下野国都賀郡千本木村(現・栃木県日光市)へ立ち寄ります。しかし、足を痛めたので歩行が難しく、医者から治療を受けたものの全快はせず、徳蔵は自宅に戻りたいと申し出たのです。千本木村からの知らせ(飛脚を使う)で、徳蔵の父親と兄が迎えにきましたが、徳蔵は籠で深谷矢本村へ送られることになりました。言うまでもなく、2つの村は遠く離れており、多くの日数がかかります。そのため、千本木村の村役人は、道中村々の庄屋たちへ宛てた文書(「覚」)を記し、①深谷矢本村までの「御継送り(リレー方式で籠に乗せた徳蔵を送り届ける)」、②食事などの「御心付け(無償提供)」についてお願いしたい、と述べています。当時、徳蔵のような寺社参詣を目的に、遠くまで旅行をする人々はたくさんいましたが、その希望は無念ながら叶わず、故郷へ戻ることになった旅人も存在しました。

御用留は後世の私たちに、タテの関係(領主―村―百姓)、ヨコの関係(近隣村々および領内外)にかかわらず、さまざまな情報を掲載しています。今回紹介したように、村人たちの動きや、はたまた怪我人の搬送に至るまで、江戸時代の社会を多少なりとも伝えてくれる貴重な古文書です。

◎参考:須賀川市桑名家文書目録【利用案内PDF】【目録PDF