コラム:田中俊雄と沖縄の織物(阿部さやか)

本年は、昭和47年(1972)の沖縄本土復帰から50周年の節目に当たります。これに伴い、各地で関連イベントやTV番組が企画されるなど、沖縄の歴史や文化への関心も高まっています。さて、沖縄から遠く離れた山形県米沢市に、沖縄の織物研究に多大な功績を残した人物がいました。
田中俊雄(1914-1953)は、大正3年(1914)に米沢で三代続く機業家の長男として生まれました。同郷の経済学者で歌人の大熊信行や、思想家の柳宗悦に師事して民藝運動へ参画、民藝協会の機関誌『工藝』などで織物に関する原稿をいくつも発表しています。また、昭和14年(1939)の創刊以来、今日まで発行されている機関誌月刊『民藝』では長く企画・編集に携わるなど、プロデューサー的な役割も果たしました。
昭和14年、田中は民藝協会の調査で初めて沖縄を訪れ、現地の織物に魅了されます。以降、その研究がライフワークとなりました。機業の家に育った彼は織物の知識や持ち前の観察力を存分に発揮し、600点以上に及ぶ実物資料の蒐集と分析、古文書を含む文献調査、織り手への聞き取りなど、幅広く丁寧な手法で調査・研究を行いました。そこには、田中が沖縄の風土や歴史、その中で育まれた精神性にも目を向けていたことが見えます。昭和27年(1952)には夫人の玲子氏と共同で『沖縄織物裂地の研究』を著し、蒐集資料の展示会も行うなど、精力的に活動をしています。ところが翌年、不幸な事故により38歳という若さで突然世を去ります。玲子夫人は残された彼の研究成果をまとめ、昭和51年に集大成となる共著『沖縄織物の研究』を刊行しました。
田中が調査した資料の中には戦災で原本を焼失したものもあり、戦前の沖縄を探る手がかりとしても貴重です。また、戦後に沖縄の織物文化を復興させようという動きが高まり、織機の構造や技術に関する詳細な記録は、その復元に欠かせないものとなりました。彼が残した研究資料は沖縄県立博物館に、蒐集した600点に及ぶ布裂地見本は日本民芸館に寄贈され、現在も沖縄の織物研究に貢献しています。

左から棟方志功、田中俊雄、土門拳、亀倉雄策
(『民藝』編集委員会『民藝 6月号 第810号』シナノ書籍印刷株式会社,2022年6月,p41)
写真提供:日本民藝協会
田中は写真家の土門、版画家の棟方、グラフィックデザイナーの亀倉らとも親交が深く、後に巨匠と呼ばれる彼等とは互いを認め刺激し合う仲だったといいます。

『沖縄織物の研究』(田中俊雄・玲子『沖縄織物の研究』紫紅社,1976年)
本編と、別冊『裂地図録』の2冊組。本編は「沖縄織物裂地の研究」(再版)と「沖縄織物文化の研究」の2編が収録されています。

関連リンク
日本民藝協会 https://www.nihon-mingeikyoukai.jp/
日本民藝館 https://mingeikan.or.jp/