コラム:江戸町奉行所の「言上帳」に記録されていた東北諸藩の領民の「欠落」「久離」「出奔」(坂本忠久)
近世都市・江戸において、「言上帳」と呼ばれる書類が、その都市行政遂行の際に極めて重要な位置を占めていたことはよく知られているところです。それは、南北両町奉行所に常備されており、市中の町々から日々提出される相続、欠落、捨子、変死等に関する出願・報告を担当の与力・同心たちがその要旨を帳面に記しておいたものとされています。そして、その言上帳の控えは一部の町においてごく断片的に残されているのですが、言上帳自体は残念ながら全く残存していないのです。
ところが、『旧幕府引継書』のなかの「記事条例」という名が冠せられた一連の史料のなかには、大量の「言上帳」の記録がよく整理された上で引用されており、そのため「言上帳」の具体的内容を相当程度窺い知ることができます。そして、そこには、江戸の町人の欠落だけでなく、東北諸藩の領民の「欠落」「久離」「出奔」等の実態も記録されているのです。今それを羅列してみるならば、①宝暦2年(1752)5月の仙台藩飯田能登の若党・日塔喜右衛門の欠落、②宝暦5年(1755)5月と明和2年(1765)8月の二本松藩の家来の出奔、③宝暦11年(1761)4月の上山藩の家来の養子の出奔・久離、④明和9年(1772)4月の秋田藩の元家来の義絶、⑤安永4年(1775)9月の岩城平藩の家来の忰の出奔・久離、⑥安永5年(1776)7月の新庄藩の家来の従弟の義絶、等です。①の事例は、すでに『仙台市史』等で紹介されている有名な事例ですが、これらはその大半が藩主より大名留守居を通じて町奉行所に報告されているのです。
ではなぜ、一見何の関係もなさそうな東北諸藩の領民の欠落等が言上帳に記録されていたのかと言えば、諸大名の刑罰権行使の際の手続き上の問題、江戸における都市住民の治安維持のための施策、町奉行所内の警察権力の協力への期待、等をその理由として挙げることができるように思われます。いずれにしても、「言上帳」の記録から、江戸時代の幕府と諸藩は、日常的な事柄についても、極めて緊密な関連性を有していたと把握することができるのです。
なお、上記の点についての詳細は、近年刊行した『近世江戸の行政と法の世界』(塙書房、2021年)を参照していただければ幸甚です。(東北大学大学院法学研究科)
◎参考 塙書房 書籍情報
http://rr2.hanawashobo.co.jp/products/978-4-8273-1318-5