コラム:宮城県立白石中学校の学校行事―『白石実業新報』の翻刻作業から―(阿部さやか)

『白石実業新報』(明治44年〈1911〉2月11日創刊、大正3年〈1914〉4月21日発行号まで現存)には、白石町(現:白石市)およびその周辺の学校に関する記事も多くみられます。今回はその中から宮城県立白石中学校の行事に着目し、当時の教育や学校生活について紹介します。
本校は現在の宮城県立白石高等学校の前身にあたります。明治32年(1899)に刈田中学講習会として創立し、34年に私立刈田中学校、36年に刈田郡立刈田中学校、そして43年に宮城県立白石中学校となりました。当時の中学校は5年制(現在の中学1年~高校2年)で、12歳以上の生徒たちが学んでいました。また、中等教育以上は男女別学が基本であったため、本校は男子校でした。ちなみに、明治44年に白石第二小学校の敷地に併設された「白石町立実科女学校」が、白石町の女子中等教育学校のはじまりとされています。
入学式は現在と同じ4月初旬です。毎年5月には全校で修学旅行がおこなわれました。行き先をみると、例えば明治45年は1年生が飯坂温泉、2年生が松島、3年生が中尊寺、4年生が水戸、5年生が足尾銅山及び日光をそれぞれ訪ねています。7月末の期末試験を終えると8月末まで夏季休校となります。11月には2日間通しの「発火演習」がおこなわれました。発火演習は第二師団の現役将校等の指揮による実践的な軍事教練で、全校生徒が北軍・南軍に分かれて戦闘訓練に参加しました。現在では珍しい行事に、冬の兎狩りが挙げられます。明治45年2月の記事に、生徒たちは早朝から鎌先山で野ウサギを巻いた(獲った)あと、鎌先温泉の一條旅館で兎料理を食べ、温泉へ入浴し、夕方帰宅したことが記されています。3月には卒業式がおこなわれ、式のようすのほか卒業生の氏名や県知事からの告辞が掲載されました。
自身の中学・高校時代と比較してみると、100年以上昔の学校生活を少しリアルに感じられるかもしれません。

 

 

 

 

 

県立白石中学校(『白石実業新報』明治44年3月11日発行号より)

(参考URL)
白石市図書館所蔵 地元発行新聞等の目録
http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/soshiki/31/13110.html