コラム:上山に残る江戸の「道」(長南伸治)

山形県上山市で、ある程度世間に知られている「著名」な文化財といえば、城下町・宿場町として栄えた江戸時代の面影を伝える茅葺(かやぶき)屋根の建物、現在も人々の生活を支え続ける明治時代建造の石橋(これら茅葺屋根の建物と石橋の保有数は山形県内で上山市が最多)、毎年冬に藁(わら)のかぶり物「ケンダイ」を纏った「カセ鳥」が「カッカッカー!」の掛け声と共に市内を舞い歩く「奇習(きしゅう) カセ鳥」といったところではないかと思います。
しかし、上山にはこれら「著名」な文化財と同等、いや、それ以上に、この土地が歩んできた歴史を雄弁に物語る文化財が存在します。それは、上山城跡(同地には現在、筆者の職場である城郭型博物館「上山市立上山城」があります)周辺に張り巡らされた「道」です。
筆者が上山城に赴任してきた当初、とある地元の方から、「江戸時代から上山城の廻りの道は変わっていない」と教えられました。「そんなバカな」と内心思いつつも、上山城の収蔵庫に眠っていた江戸時代の城下絵図を引っ張り出し現在の地図と見比べてみたところ、道幅など軽微な変化はあるものの、その道筋は江戸時代と全く変わっておらず、さらに驚くべきことに、上山城周辺の道は土岐氏の藩主時代(寛永五〈1628〉~元禄五〈1692〉年)に完成したといっても過言ではないほど、それ以降、新たな道は数える程度しか切り開かれていないこともわかりました。
このような昔ながらの「道」(細かったり、直角に折れ曲がったりした道も有)は、車社会の現代において不便や危険を感じさせるものであることは間違いありません。そうではありながらも、この「道」が今に至るまで保存され続けてきたのは、郷土の歴史を大切にし続けてきた上山の人々の「思い」の賜物であると私は考えます。今後、読者のみなさまの中で上山を訪れる機会がございましたら、上山城跡周辺の「道」をお歩きいただき、江戸時代の雰囲気や上山に暮らす人々の「思い」を感じとっていただけたら幸いです。(公益財団法人上山城郷土資料館)

 

 

 

 

 

 

 

「土岐家が藩主だった時代の上山城下絵図」(個人寄贈・上山城保管)