コラム:利府町の歴史資料保存と活用 ―小学校の歴史を中心に―

利府町教育委員会では、平成29年度と30年度に利府町郷土資料館で「明治・大正時代の利府」をテーマにミニ企画展を行いました。その際、上廣歴史資料学研究部門の荒武先生のご協力のもと、当時の公文書や新聞記事の調査をして、利府小学校を中心とした地域の歴史を紹介することができました。このコラムでは、その一端をご紹介できればと思います。
「利府小学校沿革誌」によると、利府小学校は明治5年(1872)8月2日の学制発布と同時に、寺院を仮校舎として開校しました。すでに地域のなかには、宮城県内で最も古いとされる笹町塾を含む9つの私塾が開かれていましたので、子どもたちの教育への意識が高かったことがわかります。
その後、本校舎が建設されましたが、明治36年(1903)5月30日に火事により焼失してしまいます。当時の「河北新報」では、かなりの紙面を使って当時の詳細な様子が報じられていました。記事によると、①校舎は全焼したものの死傷者は無かったこと、②原因には放火の疑いがあること、③翌月までの休校と、約700名の生徒を町内の数か所(民家や寺院)に分散させて授業を行うこと、という内容が書かれています。これらは「沿革誌」などでは記されておらず、今回の調査で新たな「歴史の発見」ができました。それに加えて、地元の人々などから校舎新築のために寄付金があったほか、「明治三十六年学校建築村債募集簿」(利府町所蔵)によると、村債の発行で住民からも資金を求めていたこともわかります。小学校の危機に対しても利府の教育熱が発揮され、こうした村民の努力により翌年6月には新たな校舎が竣工します。
落成式は日露戦争などの影響で遅れましたが、明治40年(1907)11月4日に開かれ、その様子も「河北新報」により報じられています。祝賀行事には、地元の関係者や来賓とともに地元出身の力士も参加し、余興相撲が行われたと記されており、大変にぎやかな様子を知ることができます。
学校沿革誌、行政文書、そして当時の新聞記事を照らし合わせて多角的に学校を浮かび上がらせることで、当時の状況が再現できました。今後もこうした地域に残されたさまざまな歴史資料を大切に保存し、より良い活用を目指し、地域の歴史・文化を守っていきたいと考えております。
(谷野俊平 利府町郷土資料館)

 

 

 

 

 

 

 

(左)利府町郷土資料館平成30年度ミニ企画展ポスター ※現在は開催しておりません。
(右)「明治三十六年学校建築村債募集簿」(利府町所蔵)