史料の中の地域性―「差支」る「差湊」―(根本みなみ)

 古文書を見ていると、地域独特の読み方や表現があることがあります。私が専門としている萩藩では、「峠」を「たお」と読むのは有名ですが、研究をする上で非常に困ってしまう言葉に「差湊」という言葉があります。これは「さしつどう」と読み、一般的には「何かが集まる」様子を示す言葉です。しかし、萩藩ではこの「差湊」を「差支」と同じ「困る」という意味で使用します。「どうして『差湊』で『困る』という意味になるのか」と地元出身の研究者に尋ねたところ、「人や物が集まりすぎて、身動きが取れなくなると困るでしょう」とのこと。しかし、他の藩の史料では「集まる」を示す言葉が特定の藩では「困る」を指すというのは、文字通り大いに「差支」てしまいます。
 例えば史料を翻刻して紹介する際、「差湊」はまずは翻刻者(つまり私)の誤字だと指摘されてしまいます。しかし、私の誤字ではないと弁明すると、今度は史料記述者の誤字として扱うように求められます。ご存知の通り、古文書を翻刻する際、最初に筆記した人の明らかな誤字だと分かる場合には「ママ」と注記を入れます。ですが、「差湊」は誤字ではないため、注記を入れることもできません。結果、萩藩では「差湊」は「差支」と同義で使うので、「差湊」のままで「差支」はありませんと繰り返し説明することになります。萩藩研究に携わったことのある研究者に「差湊」の話をすると、一様に「あぁ……」とため息を吐くことからもこの苦労が伝わるのではないでしょうか。
 仙台藩の史料を見るようになった当初、実は私はひそかに楽しみにしていたことがありました。それは仙台藩の史料でも「差支」と同じ意味で使われる「差湊」を見つけることです。もし見つけることができれば、「仙台藩でも使っていますよ」と堂々と答えることが出来るのではないか。そう思ってから早一年。残念ながら、私はまだ仙台藩では「差湊」にはお目にかかっていません。