「山形県朝日町鈴木清助家文書」の『旅泊帳』-明治時代の旅行の一断面-(竹原万雄)

 当部門では「山形県朝日町鈴木清助家文書」の調査を進めています。鈴木清助家は江戸時代に青苧(あおそ)をはじめ木綿・塩・油などの商品で財を蓄え、金融業も行い、地主として成長、近代には事業家として発展しました。大谷(おおや)村村長や山形県会議員も務め、朝日町名誉町民、山形市名誉市民の称号を受けています。
 同家の古文書は『朝日町史編集資料』(第12・19・20・24・34号)で紹介されていますが、その他にも多くの古文書が伝来しています。当部門では同家や朝日町教育委員会に収蔵されている古文書、約4,800点についてデジタルカメラでの全点撮影を終え、現在、目録作成に取り掛かっています。近世・近代の金銭貸借関係が多数みられるほか、冠婚葬祭に関する家の記録、社長を務めた山電工業株式会社や株式を保有する日本鉄道会社の関係書類、設立に関わった製糸工場「益進社」をはじめとする養蚕関係などがあり、地域文化から近代産業におよぶ多様な歴史の解明が期待できます。
 『朝日町史編集資料』(第34号)では明治12年(1879)の道中日記が紹介されています。2月9日に出発し、東京・伊勢神宮・宮島・京都・新潟などをめぐり7月13日に帰国しています。この旅と関連する古文書として『旅泊帳』も伝来していました(写真1)。同書には宿泊料などを受け取った旨が宿泊先の領収印とともに記されており、旅に携帯した原本であることがわかります。広島に泊った4月25日まで記録されていました。
 日々の支出はおおむね宿泊費と酒代の2つが計上されています。そのうち宿泊費を平均すると約16銭でした。現在の価格に換算するのは難しいのですが、明治10年(1877)のうどん・そばが8厘というデータがあるので、それで換算すると8,000円ほどになります。日光、名古屋などで連泊していますが、最も長かったのは東京でした。3月1日から14日まで滞在し、道中日記をみると寺社・芝居・博覧会などを訪れています。宿泊先の領収印もさまざまで印象的です(写真2)。旅の記念のひとつでもあったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

(写真1)『旅泊帳』静岡宿での宿泊部分

 

 

 

 

 

(写真2)宿泊先の領収印