コラム:古文書を学ぶと何があるのか?(吉田翔瑛)

 私が参加している「川北古文書学習会」は古文書の崩し字を解読していくものになります。私が何かの折に古文書学習会のことを友人らに話すとよく聞かれることがあります。「何が楽しいの?何ができるようになるの?」と。実際、どのような効果が出るかは人それぞれかと思いますが、ここでは古文書を学んで変わったことについてお話ししたいと思います。
 一つは、歴史の見え方が変わることがあります。我々が普段読んでいる歴史の本などは、言わば古文書が歴史家によって解釈されたものです。古文書を読むことは本などを読むこととは全く違う味わい深さがあり、読んだ前後では異なった印象を感じることもあります。古文書を読むことは私に新たな楽しみ方を提供してくれるのです。
 一つは、古文書を読んでいくと崩し字が読めるようになります。崩し字が読めると何がいいのか?と思われることでしょう。例えば、博物館や美術館の展示品に書かれている文字を直接読むことができるようになります。パネルと合わせて理解を深めるのはもちろん、書かれていないことまで情報を得られるかもしれません。他にも、私は町中で自然と崩し字が目に付くようになりました。地元に帰ると今まで目に入ってこなかった情報が入ってくることも多くあります。皆様にも見慣れた町で新たな発見があるかもしれません。
 最初に書いた通り、古文書学習会の効果は人それぞれです。古文書を読むことが、どのような形であれ皆様の楽しみを増やす一助になればいいのではないかと思います。古文書学習会は人数が多いほどより有意義な学習になりますので是非ともこのコラムをご覧になった皆様もご参加ください。(東北大学文学部人文社会学科日本史専修)

 

 

 

 

 

 

(写真)古文書学習会の様子。前期は柳営日次記の「伊達騒動(寛文事件)」関連部分を読みました。