コラム:『史学科の比較史』に寄せて(柳原敏昭)

 いささか旧聞に属しますが、昨年(2022年)5月、小澤実・佐藤雄基編『史学科の比較史』(勉誠出版)という研究書が出版されました。コンセプトは「帝国大学、植民地・外地の大学、官立大学、私立大学より13の特筆すべき大学・機関を抽出し、比較史的アプローチより近代史学成立期における史学科の展開と特徴を明らかにする」というものです。私も東北大学文学研究科日本史研究室の前身である東北帝国大学法文学部国史研究室に関する論文を書かせていただきました(「創設期の東北大学日本史研究室」)。
 本書の肝は、タイトルにあるように比較です。その意味で所収論文中、私が最も興味をひかれたのは、山口輝臣「九州帝国大学法文学部における歴史学」でした。
 東北大法文学部の創設は1922年、九大のそれは1924年です。そのころ東大と京大の文系学部はすでに文・法・経に分かれていましたが、東北大と九大には複合学部である法文学部が置かれました。似たもの同士ということになります。ところが、その内実はずいぶんと異なっていたようです。
 九大法文学部は当初から文・法・経の三科に分れており、複合学部は三学部独立のための一つのステップと考えられていました。それに対して東北大法文学部は設立後10年を経るまでは三科に分かれることなく、学生の学位は取得単位数と卒業試験によって文・法・経の区別をつけるという、きわめて自由で柔軟な教育システムをとっていました。山口氏は、九大が法文学部を制約条件と考えていたのに対して、東北大はその可能性を積極的に活かそうとしていたと評価しています。九大法文学部の制度設計を行ったのは東大法学部で憲法を講じていた美濃部達吉であり、東北大法文の方は初代学部長の佐藤丑次郎によります。佐藤も憲法学で大きな業績を上げています。同じ憲法学の泰斗が設計しながら、発想が対照的であるのは興味深いことです。九大が法・経中心、東北大が文中心であったことも相違点です。
 日本史研究の方向性では、九大・東北大ともに地域の史料を用いた研究を重視したという共通点があります。しかし、九大が「九州の地は歴史上、日本文化の源泉地である」(佐々弘雄)という発想から出発したのに対し、東北大は「東北地方には中央文化が及ぶことが遅かった」(喜田貞吉)という認識に立っていたことには注意が必要です。
 また、九大国史研究室は文化史研究に比重があったということです。一方、私は東北大国史研究室に、全国学会である社会経済史学会の東北部会事務所が置かれ、12あった地方部会のうち、東北部会が最も活発な活動を行っていたということを指摘しました。彼我には研究の力点の置き方にも差違があったわけです。ただし、東北大法文学部には別に日本思想史研究室があり、そちらでは文化史研究が盛んに行われていたことを忘れてはなりません。
 いまさらながらこの本を取り上げたのは、今年が東北大日本史研究室創設100周年にあたっているためです。研究室が歩んできた道のりに思いを致しつつ、しかし、それに寄りかかることなく、新たな歴史を刻んでいきたいと考えています。(東北大学大学院文学研究科)