コラム:仙台藩主の御成―地域の記録と記憶―(野本禎司)

部門が主催している川北古文書学習会にて、仙台藩重臣の大條(おおえだ)家文書(山元町歴史民俗資料館所蔵)を参加している学生と読み進めています。テキストには、享保15年(1730)7月26日「坂本御成に付而諸御留」(3-18)を使用しています。5代藩主伊達吉村が、大條家の居所である坂本要害(現宮城県山元町)周辺を訪問(「御成(おなり)」)した際に大條家家臣が書き留めた記録です。これによれば、藩主を「おもてなし」するための役職編成がなされ、大條家家臣たちは警固をする足軽を含め、部屋のしつらえ、食事の準備、踊りの披露など各自奮闘していた様子がわかります。学生と読んでいた箇所で興味深い内容がありました。大條家は、隣接する領主の亘理伊達家から料理に使用する鴫(しぎ)を貰い受け、部屋を飾る屏風を借用していました(写真1)。藩主に対して失礼がないよう他家の財産も借りて準備をしていたのです。なお書院飾りには、1日目に狩野探幽筆、3代藩主伊達綱宗筆の三幅対、2日目に狩野常信筆の二幅対(龍虎)を掛け、立花や砂之物にて準備しました。この史料からは武家文化や饗応料理など、留学生には日本文化を知るきっかけに、また美術史専攻の学生も興味をもって取り組んでいます。

さて、このとき伊達吉村は景勝地である磯山(現磯崎山公園、写真2)も訪れ、二首の歌を詠み、大條家当主は御詠歌を拝領したことが書き留められています。この二首の歌は、磯山で次のような経緯をたどり、地域に記憶されていきました。明治10年(1877)頃、学校の先生が板に歌を書き掲示、朽ちてきたので、昭和30年(1955)、志賀潔に揮毫を依頼し、歌碑が建立されました。この歌碑は、東日本大震災により、現在は往時の姿をとどめていませんが、資料館に歌碑の拓本が軸装されて保管されていました(写真3)。仙台藩主の御成に関する記録が、地域に残されてきたことがわかり、藩領内の地域の歴史において御成がもった意味を考えさせられます。一方で、今回紹介した大條家文書に残された藩士たちの奮闘する姿も忘れてはならない地域の歴史の一つです。

 

 

 

 

 

 

写真1 大條家文書3-18「坂本御成に付而諸御留」(部分)

 

 

 

 

 

写真2 磯崎山公園入口(2022年9月撮影)

 

 

 

 

 

 

 

写真3 歌碑拓本(山元町歴史民俗資料館所蔵)

◎参考URL
山元町歴史民俗資料館
https://www.town.yamamoto.miyagi.jp/soshiki/35/14302.html
野本禎司編著『仙台藩奉行大條家文書―家・知行地・職務―』(東北アジア研究センター叢書第70号)
http://hdl.handle.net/10097/00134280