地域の歴史を学ぶ◎岩出山Ⅷ(3月5日)参加記:「おくのほそ道」の旅 出羽仙台街道中山越の意味するもの(扇明美)

2022年3月5日(土)大崎市岩出山文化会館において、大崎市教育委員会、岩出山古文書を読む会主催の「初めての古文書講座」公開講演会「地域の歴史を学ぶ」として、山形地域史研究協議会会長の梅津保一先生の「「おくのほそ道」の旅 出羽仙台街道中山越」の講演に参加しました。地元大崎市のみならず仙台や松島、県北、一関といった他市町村からの聴講者が多く、「おくのほそ道」の人気、興味度が窺えました。
「月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり」という有名な文章で始まる「おくのほそ道」は日本人なら一度は必ず目にするのではないでしょうか。私は年を重ねるにしたがって、この意味を感慨深く感じるようになりました。ただ、もともと和歌や俳句、漢詩などを解さない私にとって、「おくのほそ道」は東北の地を旅した俳句を盛り込んだ紀行文であり、枕言葉に託された古の地を旅する「歴史の道」の探索にしか興味がありませんでした。
今回の講演で、先生は、出羽仙台街道中山越は大きな転換地であり、前半は枕言葉に寄せる中世的な陸奥路への思い、特に悲劇の英雄義経への思いを辿る芭蕉の姿があり、後半は岩出山尿前よりの中山越、出羽国へと向かう最大難所山刀伐峠越の描写は文学的表現の峠の意味するところがあると話されました。この峠を境にして尾花沢以降は俳諧人としての人々の交流を語ることに重点が置かれているとのことでした。先生が言われたように「源氏物語」より海外で多くの翻訳がなされて読者も多い「おくのほそ道」が持つ文学性は、歴史性と共に貴重な文化遺産なのだと理解できたように思います。
さらに先生は、芭蕉がアウトサイダーであったとされ、芭蕉の人生観に私は興味をもちました。あらためて多くの地を旅した芭蕉にとって「みちのく」はどう映っただろうか、と思います。また、「おくのほそ道」で多くのことを語ってはいないだけに、現地で読むことが大切だとも言われました。この言葉は芭蕉と枕言葉に寄せられた歴史の旅、そして「連」を通して人々との交流を支えた生涯にも通じて心にすとんと落ちる思いがしました。人との触れ合いや、足で踏みしめる大地、視覚から入る感覚が得られ難くなっている現代を芭蕉はどう思っているのでしょうか。(岩出山古文書を読む会)