コラム:利府町羽黒前遺跡の調査成果(髙橋義行)

羽黒前遺跡は、仙台市岩切から利府町神谷沢にまたがり、北東に延びる2つの舌状丘陵に位置しています。遺跡周辺では徐々に宅地開発が進んでいますが、遺跡が位置する丘陵は、これまで大規模な開発計画が無く、自然地形のまま殆ど残されていました。また、発掘調査は行われておらず詳細は不明でしたが、研究者による踏査によって中世から近世にかけての供養所・墓域・霊地と考えられていました。
遺跡内において宅地造成工事が計画されたことから、両市町において令和2年度に確認調査を実施し、令和3年度から本格的な発掘調査を行っています。その中でも今回は利府町側の調査成果について記載します。
調査の結果、竪穴建物跡が丘陵頂部の平場から3棟、平場西側の斜面から7棟確認されました。また、それらの建物跡の北側には幅約1m、深さ約50cmの溝跡が長さ65m以上にわたって確認されました。東端は令和4年度に調査を行う仙台市側の調査区に延びるため、全容を把握できておりませんが、丘陵頂部を囲むような溝跡であると想定しています。竪穴建物跡や溝跡の年代は、出土遺物の年代から8世紀後半から9世紀初頭に位置付けられます。この時期は律令国家(大和政権)が古代東北を支配区域に組み入れようとし、それに反発する蝦夷との戦いが激化する時期でした。780年には伊治公呰麻呂に襲撃され多賀城が消失しています。
そのような時代背景や古代陸奥国府多賀城と直線距離で約3kmという地理的関係を考慮すると、今回の調査で見つかった溝跡は建物跡に付随する防御施設の可能性が考えられます。仙台市側の調査による溝跡の全容把握を今後楽しみにするとともに、その性格については様々な可能性を検討していきたいと思います。
その他、今回の調査では弥生時代の土器埋設遺構、古墳時代の周溝状遺構、近世墓等も確認しています。羽黒前遺跡が位置する丘陵は、時代を超え様々な用途で活用され、生活が営まれていたことがわかりました。(利府町教育委員会)