コラム:天保6年閏7月7日仙台城下水害の記録(野本禎司)

天保6年(1835)の仙台領は災害の年でした。6月26日(西暦7月21日)に大地震、閏7月6~7日(西暦8月29~30日)に台風が襲いました。この台風は日本列島を横断、宮城県の中央を通過し太平洋に抜けたようです。藩の公式記録(『治家記録』)では、城下の町屋2416戸が流失、溺死者27名とあります。詳しい被害状況は、仙台藩士・別所万右衛門や大町一丁目に店を構えた近江商人・中井家の記録から、佐藤大介氏が明らかにしています(*1)。中井家の記録によれば「仙台開地已来の大水」で、たいへんな水害でした。
この水害を岩瀬郡滑川村(現福島県須賀川市)の庄屋・桑名家も記録していました。天保6年の「御用留(ごようどめ)」に「風聞(ふうぶん)」として、次の情報を閏7月18日に書き留めています(写真)。

閏7月7日大雨にて仙台領は諸川が出水し、田んぼが水浸しになり、川沿いの村々は田畑ともに実入りがないとのことである。城下では、大手の板橋(大橋)が押し流され、片倉家屋敷(大橋脇)の石垣が崩れた。また、同心町(川内)の町屋など100軒が押し流され、数百人の溺水者がでたとのことである。

滑川村の村内には奥州街道が通っており、往来者が話す「風聞」を必要に応じて収集していたのです。仙台を通行してきた松島の参詣者が「大難儀」と伝えたことも書き留めています。さらに翌日には「仙台にて溺水150人余り、領内の田畑の洪水被害は30万石余り」と記しています。
この「御用留」には、閏7月6日夜大雨、翌7日午前10時頃から大風雨、嵐になり、大洪水と記されています。つまり、滑川村もこの台風で大きな被害を受けていたことがわかります。同村は、滑川と阿武隈川が合流する地にあり、たびたび洪水が発生し、普段から水害に対する意識が高かったといえます。だからこそ、知りえた仙台城下の水害状況を書き留めておこうという行動につながったのではないでしょうか。そして天保6年閏7月の水害がそれだけ甚大であったことを物語っています。

(*1)
佐藤大介「中井家文書に見る仙台藩の水害」(『滋賀大学経済学部史料館研究紀要』50巻1号、2017年)
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同編著『18~19世紀仙台藩の災害と社会―別所万右衛門記録―』(東北大学東北アジア研究センター叢書38、2010年)

 

 

 

 

 

 

天保6年御用留(須賀川市桑名家文書10)