コラム:仙台藩と鶴

ツル類は、現在では北海道釧路湿原だけにタンチョウが繁殖生息し、あとはナベヅル、マナツルが鹿児島県出水市などに越冬飛来(渡り鳥)する限定的な種です。なお、まれにソデグロヅル、カナダヅル、アネハヅル、クロヅルが迷い込み飛来する「迷鳥」として記録されることもあります。
江戸時代はどうだったでしょうか。タンチョウは蝦夷地の広範囲に生息していましたが、弘前藩では寛文6年(1666)~享保9年(1724)の58年間に29羽捕獲されていたことがわかります(竹内健悟『弘前藩いきものがたり―弘前藩庁日記に記録された鳥獣の話』北方新社、2020年)。盛岡藩では寛永21年(1644)~天明2年(1782)の138年間に計218羽のツル類が捕獲されており、その種別はシロヅル・マナヅル・クロヅル・種名ナシ(ナベヅル)が多くを占め、タンチョウの捕獲はこの間に1羽だけでした(遠藤公夫『盛岡藩御狩日記―江戸時代の野生動物誌』講談社、1994年)。当時、タンチョウの繁殖生息地は、津軽平野までは広がっていたようです。
当時の武士たちは鷹狩りを嗜みました。その際、特別な獲物であったのが鶴で、徳川将軍から鶴を拝領することは一部の大名の特権でした。仙台藩で奉行(他藩の家老職にあたる)を務めた重臣である大條家の文書には、将軍から下賜される「御鷹之鶴」を、服装を正した家臣達が吸物として戴く儀式が記録されています(「御申次手控」大條家文書2-4、山元町歴史民俗資料館所蔵)。また、「御獲之鶴拝領被仰付由」との記事もあり、藩主が鷹狩りで捕獲した鶴を家臣が拝領していたこともわかります(「若老月記」大條家文書3-35、同館所蔵)。仙台藩領内での鶴の狩猟については、『封内土産考』によれば、胆沢郡(岩手県)において「田野に鶴形を置く。木を以て造之」とあり(『仙台叢書』第3巻、1923年)、「デコイ」(狩猟で使う鳥の模型)を利用し、鶴を誘い集め鉄砲で撃つという捕獲方法が記されています。江戸時代の東北地方で囮猟が行われていたことを知ることができます。仙台藩では、ナベツル・マナツルの渡り鳥系の鶴が飛来しており、鷹狩りだけでなく、模型の鶴を用いて捕獲する特徴的な狩猟も行われていたようです。(後藤三夫)