コラム: 『「慶應四戊辰日記」~“わが家に薩摩兵が来た!”遭遇した庄屋の体験記~』の紹介(佐原崇彦)

「六月二十四日、・・・棚倉が落城しました。棚倉藩家中全員が逃げ落ちます。今夕は、私共の村のような山中にまで、百人程の老人・子供・婦人・病人が宿を借りようと、強引に入って来ました。当惑です。・・・六月二十六日、・・・天気です。暑気が強い日です。家内無事。我が家に、薩摩藩有川金之進、古川玄輔という武士が二人、その家来三人・・・」(本書72頁)

これは、「慶應四戊辰日記」(福島県石川町立歴史民俗資料館保管)の一節で、慶応4(1868)年6月24日、棚倉城を攻略した薩摩兵がその近隣村を探索、筆者宅を訪れた際の記述(現代語意訳)です。この日記を、当館にて編集し、『「慶應四戊辰日記」~“わが家に薩摩兵が来た!”遭遇した庄屋の体験記~』と題して昨年度発刊いたしました。安寧に暮らしをしていた人々が思いもよらぬ事態に巻き込まれる場面の記録で、それをサブタイトルで表現しています。
本書は、江戸時代後期、長く村の庄屋(山白石村:現福島県石川郡浅川町大字山白石)を務めた松浦孝右衛門懋安(ぼうあん、1818~1890)が残した「慶應四戊辰日記」を現代語意訳、原本写真、釈文で紹介したものです。日記は慶応4年正月から始まり、翌明治2年(1869)6月末までの一年半を中身とし、わが国史上の大転換点となった期間と重なります。当時のこの地の日常、当地での「戊辰戦争」、大規模な打ちこわしが詳細に、かつ冷静に語られています。
この種の日記には、ともすると、後年の回顧や、ある意図をもっての編纂等が多いものですが、本日記は正に「日記」です。勿論、筆者孝右衛門が「ぶんぶん」(本書79頁)と砲弾が飛び交う戦いに巻き込まれ、疲労困憊で日記を中断した期間もあります。しかし、「その日の出来事はその日に」が基本となっていて、これこそ、当時の空気そのままの「タイムカプセル」です。
史料としては釈文のみで十分であることは勿論承知の上で、敢えて現代語意訳をし、更に原本写真を入れました。本日記の面白さを、広く知っていただきたいとの思いからです。孝右衛門の筆遣いには、その心情が、また、その行間には人々の活き活きとした姿が溢れています。
会津若松、二本松、白河といった「武士」の視点で語られる地とは違った、これまで全く知られることのなかった、150年前の福島県県南地方の政治・社会の実相がここにあります。
(福島県石川町立歴史民俗資料館)

 

 

 

 

 

 

 

「慶應四戊辰日記」原本表紙

 

 

 

 

 

 

 

『「慶應四戊辰日記」~“わが家に薩摩兵が来た!”遭遇した庄屋の体験記~』表紙
(福島県石川町立歴史民俗資料館 編集・発行)

参考URL
福島県石川町立歴史民俗資料館
http://www.town.ishikawa.fukushima.jp/admin/material/