コラム:武家屋敷地内の池跡調査から(菅野智則)
仙台城二ノ丸跡地となる川内南キャンパス1998年度第5次調査(調査年報6、7)では、伊達政宗の娘の五郎八(いろは)姫の居館「西屋敷」の一部と考えられる建物跡とともに、大きな池跡が確認されました。この場所は、現在の附属図書館2号館の位置にあたります。
9・10号池とされたこの池跡は、元和6年(1620)から寛文元年(1661)頃に利用されていたものと推定されています。517.3㎡とかなり大きく、深さも最大1.6m程あり、調査区外へとさらに広がっています(図1、2)。池の形は不定形で、半島状の陸部分は州浜状となっており、川原石も多数確認されることから、東岸や州浜部には石浜が形成されていたといえます。池を眺めるためと考えられる建物跡(7号建物)が南側に確認されており、まさに「お屋敷の庭園」という様相です。出土遺物は少なく、池とその周辺はきれいに清掃されながら利用されていたと推定されます。
他方、仙台藩士の武家屋敷地区にあたる川内北キャンパス第14次発掘調査(調査報告7、8)では、複数の小さな池跡が確認されました。たとえば2号池状遺構は17.62㎡、深さ80cm程で、かなり小さく浅いものです。2号池は、17世紀には利用されていたと考えられ、陶磁器324点のほか土器や木製品も多数出土しています。
この調査では、池跡の堆積土を水洗篩(すいせんふるい)にかけ、微細な遺物も回収したことで、動物の骨や植物の種子、昆虫遺体なども多種多様に確認できました。これらの写真は報告書に掲載していますので、ぜひご覧ください(調査報告8)。詳細な調査を行ったことで、この池跡は水を静かに湛えつつも、薄暗い状況のもと食物や人糞が廃棄されるような場であり、のちに陶磁器などの人工遺物の廃棄や土壌の流入が始まり、荒れ果てていった状況を想定することができました。
このように池跡がおかれた文化的・自然的な環境が異なると、出土遺物にもその差異が現れます。調査が進展することで違いが明確化され、さらにはその起因するところを読み取いていくことができます。考古学研究の楽しみの一つです。(東北大学埋蔵文化財調査室)
※東北大学埋蔵文化財調査室の調査年報、年次報告、調査報告書はすべて下記ページよりダウンロードできます。
http://web.tohoku.ac.jp/maibun/12publish.htm
図1 西屋敷の池・建物跡
図2 西屋敷の遺構分布模式図