コラム:仙台藩領の感染症(平川新)

新型コロナウイルスは、世界中の人々を感染の恐怖に陥れました。ワクチンや治療法が開発されていませんので、今後の流行にも不安は高まるばかりです。感染症のパンデミック(世界的大流行)は、自然災害や戦争災害よりも広域的で、大量の犠牲者を出す世界型災害であることを再認識させられました。
コロナ騒動が発生してから、仙台藩領ではどんな感染症があったのだろうと自治体史や古文書の写真データを見ていたところ、安永2年(1773)の疫病の史料を見つけました。気仙郡猪川村(岩手県大船渡市)の史料に、「安永二年巳夏中より疫病流行、死亡郡中に三千余人これあり」とありました。その史料は、同村の肝煎が困窮した村民たちに金子や米、稗などを提供したことを褒賞したものでした。
『宮城県史』災害篇には、より詳細に、気仙郡で患者13,473人、死者2,383人とありました。発熱と嘔吐といった症状ですので、麻疹(はしか)かもしれません。不思議なことに隣郡には広まっていないようです。
それは、気仙郡から伊勢参りに出かけた人たちが持ち帰った伝染病でした。江戸で始まった流行が上方にも伝わり、気仙郡から行った人たちが感染したのです。一行10人のうち3人が現地で死亡し、残りの人たちは「半死半生」の状態で帰ってきました。そこから郡内に広まったのでした。
仙台藩は医師を派遣して薬も配給したのですが、効果はなかったようです。領民はもちろん神仏に疫病退散を祈願しましたが、興味深いのは、親類や近所に患者や死者があっても病気見舞いも葬式にも出なかったとのことです。人の接触によって感染するという認識があったということになります。やはり外出や人との接触を自粛するというのが、古今に共通の基本的な対策のようです。