部門主催講演会「川崎の記憶~古文書からよみがえるふるさとの歴史~」を開催しました。

421日(土)、宮城県柴田郡川崎町の川崎町山村開発センターにて、講演会「川崎の記憶~古文書からよみがえるふるさとの歴史~」を開催しました。主催は部門・東北大学災害科学国際研究所・川崎町教育委員会、後援はNPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク・川崎町歴史友の会です。本講演会は、近年部門や宮城資料ネットが川崎町内で実施してきた古文書調査の成果である『川崎町の文化財12 古文書』(川崎町教育委員会、20183月)の刊行を記念して開催されました。講演は、災害科学国際研究所准教授蝦名裕一氏の「中津山藩から川崎伊達家へ~川崎伊達家文書の調査から~」と、部門助教高橋の「青根にひたる、青根に生きる~佐藤仁右衛門家文書にみえる温泉・湯治・飢饉~」です。
蝦名氏の講演では、川崎伊達家初代当主伊達村詮(むらあき)の父村和(むらより)が藩主をつとめた中津山藩の立藩から終焉に至るまでが、詳しく解説されました。町内で進められてきた川崎伊達家文書の調査についても紹介されました。
高橋の講演では、これまで川崎町歴史友の会の方々らと調査を進めてきた青根温泉佐藤仁右衛門家文書の概要を紹介すると共に、調査の成果報告として、佐藤家文書の中から郷土史や研究上で興味深い古文書を紹介しました。例えば、「青根山薬師堂温泉記」(享保5年〈1720〉)は、仙台藩5代藩主伊達吉村が著した温泉療養の指南書で、貝原益軒の養生論を参考に青根温泉の入浴法がこと細かく綴られています。現在とは異なる温泉に対する認識がうかがえるのはもちろんですが、当時の藩主の医学的教養がわかる点でも面白い史料です。また、宝暦~天保年間の青根周辺の状況を綴った「(諸用留)」には、天明飢饉の際に仙台藩から金銭と大麦が貸渡されていたこと、天保飢饉の際には藩からの支援が滞り、代わって地域住民有志が困窮者に米を提供していたことが記されています。官から民へと窮民救済機能が移行していたことが、1つの地域レベルで実態として明らかになります。このように、佐藤家文書は江戸時代の藩主から町・村の住民に至るまで、幅広い階層の人々の考えや暮らしを垣間見ることができる貴重な史料なのです。調査は一段落しましたが、今後も解読を続けていきたいと考えています。
当日は約100名の方々にご来場いただきました。厚く御礼申し上げます。これからも様々な形で古文書の魅力を広く発信していければと考えています。

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