コラム:北上山地奥地に残されていた蔵書の山(鈴木淳世)

 岩手県の県庁所在地・盛岡市の北東、北上山地の只中に葛巻町(くずまきまち)という小さな町があります。険しく冷涼な山間の町ですが、江戸時代には八戸藩・軽米通の交通の要衝として栄え、豊かな文化が育まれていました。その文化の成熟を象徴する人物として挙げられるのは、古方派の医師・香川修徳(1683~1755)の学統に属し、『医彀』『天朝治略』『実語教徴解』『百怪談』などの多種多様な書物を著していた八戸藩領陸奥国九戸郡葛巻町の医師・遠藤訒斎(えんどうじんさい・1786~1853)です。訒斎は幅広い交友関係をもち、南部地方(盛岡藩領・八戸藩領)各地の人々に影響を与えた知識人の一人でもありますので、彼の子孫に伝えられていた遠藤家文書は、葛巻町周辺地域の文化的成熟のみならず南部地方全体の文化的発展の一端を示す貴重な遺産と言えるでしょう。
 なお、遠藤家文書は一度調査され、訒斎の著書などの一部の資料は既に八戸市立図書館へ寄贈されています。しかし、膨大な蔵書(刊本・写本)や明治時代以降の資料は所蔵機関が見つからず、未整理状態のまま、近隣の山奥の小屋(岩手県九戸郡軽米町)に保管されていました。そのような状態の遠藤家文書の存在を初めて知ったのは令和2年(2020)のことです。そして、ある縁で所蔵者(訒斎の子孫)の方々のお話を聞くこととなり、南部地方全体の文化的発展の一端を示す貴重な資料と確信するに至りました。そこで、所蔵者の方々の許可を得て、上廣歴史資料学研究部門・NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴん・八戸市立図書館関係者などの協力を仰ぎ、遠藤家文書の整理・撮影を行うこととしました。コロナ禍があり、実際に整理・撮影を始めたのは令和4年(2022)のことでしたが、整理作業は完了し、20箱の文書箱に収納することができました。整理作業を経て盛岡藩儒医・鈴木貢父(1732~1808)の著書『学古堂養生嚮方録』『学古堂傷寒臆』などの「逸書」もふくまれていたことが判明し、改めて遠藤家文書の重要性を認識しているところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真1)『俳諧風雅帖』遠藤訒斎の肖像(遠藤家文書・追跡調査分)

 

 

 

 

 

 

(写真2)『学古堂養生嚮方録』(遠藤家文書・追跡調査分)