『江戸時代の漂流記と漂流民 -漂流年表と漂流記目録-』(平川新・竹原万雄共編)を刊行しました(平川新)

 江戸時代は「漂流の時代」といわれるほど、たくさんの漂流事件がありました。廻船や漁船が嵐に遭うと沈没することも少なくありません。なんとか嵐を凌いだとしても舵や帆柱を失ってしまうと、波まかせ、風まかせで漂うことになってしまいます。再び嵐にあって、ついには転覆してしまうこともありました。大変少ない割合ですが、流され続けて見知らぬ海岸に漂着することもあったのです。
 いったいどれほどの漂流事件があったのでしょうか。なかなか全貌を把握することはむずかしいのですが、私たちはそれを確認するために、漂流記を所蔵する機関の図書目録から、漂流記の情報を網羅的に集めました。その結果、漂流年、船名、漂着地、帰国ルートなど、漂流の経緯がわかる漂流事件として341件を把握することができました。漂流民の体験談である漂流記が残されるのは生きて帰国できたからですので、沈没した船はこの数十倍はあったものと思われます。
 漂流地が判明した地域は、太平洋全域に及んでいました。北はカムチャツカ半島やアリューシャン列島、南はルソン島やバタン諸島、ベトナムにまで流されています。太平洋の向こう側のカナダやアメリカ、ハワイ諸島にも漂着していました。
 本書では、これら341件の漂流事件を「漂流年表」と「漂流記目録」のデータベースとして公表しました。この年表と目録を活用すれば、日本のどこの船が、いつ、どこに漂着し、どのようなルートで帰国できたのかを把握できます。漂流の内容がわかる漂流記の表題や所蔵機関も掲載していますので、漂流事件に関心をもった方が漂流記を調べる手助けにもなります。
 なお本書には、「論説編」として漂流を題材にした平川の論考を5本収録しています。外国から送還されてくる漂流民の受け取りについては、徳川日本の外交にも大きな影響を与えていました。とくにロシアへ漂着した日本人漂流民へのロシア政府の対応は、時期によって大きく異なります。その段階的特徴を把握すると共に、石巻の若宮丸漂流民送還をめぐる日ロ関係や、従来不明だった若宮丸船主の米沢屋が数隻の千石船を所有した有力商人であったことを新出史料にもとづいて紹介しています。
 また日本沿岸にも中国や朝鮮の船が、しばしば漂着しました。本吉郡室浜(石巻市北上町)に漂着した中国船の乗組員を浜の人たちがどのように救助したのか、その漂流民を仙台藩はどう保護し、長崎まで送り届けて帰国させたのか。漂流民相互送還制度は江戸時代の善隣友好外交ともいえますが、その実態を紹介しています。
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