1月21日:山形県立博物館令和4年度博物館講座⑥開催報告(野本禎司)

部門では山形県立博物館主催の博物館講座(全6回)のうち2回分の講師を担当しています。今年度第6回目の博物館講座が2023年1月21日に開催され、野本が講師を務めました。当日は「出羽国村山郡における旗本知行の特徴―3000石高力家の領主支配―」と題して、出羽国村山郡に知行地をもつ旗本高力家の領主支配の特徴を紹介いたしました。高力家の知行地は同郡深堀・西高楯・大寺の3か村(現山形県山辺町)で、西高楯村の名主・安達久右衛門家文書の「御用留」(『山辺町史資料集第4集』2001年所収)を中心に使用してお話しました。
旗本は、全国統治を行う江戸幕府の役職に就任し、その実務運営を担う点で、大名とは異なる武家領主です。こうした領主の性格から、役職就任期間中において知行地から年貢を徴収しなくてよい蔵米知行に一時的に変更することが許されていました。高力家は、寛文8年(1668)村山郡に知行地が成立して以降、明治維新を迎えるまで200年のあいだ同郡3か村を支配しましたが、そのうち約70年間は蔵米知行の期間でした。ただし、「御用留」をみていると、蔵米知行期間中も役職就任・昇進などの際には知行地から「御祝儀」の挨拶や贈答物を受けていたことがわかり、高力家と村々の関係は途切れることなく200年間続いていたことがわかります。
村山郡といえば、大名や幕府代官など複数の支配が錯綜している非領国地域であったことがよく知られています。このなかで高力家の知行地は村山郡全体のわずか1割にも満たない規模で、その存在自体があまり知られていません。山形県立博物館の講座で旗本高力家の領主支配の特徴をお話しできたことはたいへん貴重な機会となりました。受講者の皆様と館長をはじめ同館職員の方々にあらためて御礼を申し上げます。

山形県立博物館 博物館ブログ
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博物館講座⑥チラシ PDFファイル