コラム:戦前日本最大規模の鐘淵紡績会社の新資料が長野県上田市中丸子で見つかる(結城武延)
2019年に経営史、いや日本経営史、あるいは繊維産業史にとって非常に重要な資料調査がある研究グループによって開始されました(写真1)。かつて長野県上田市にあった鐘淵紡績会社(以下、鐘紡)の丸子工場に関する資料群が段ボール65個分も存在していたことが確認されたのです。この資料調査を行っているある研究グループとは、結城武延を研究代表者とするグループ、つまり私たちです(科学研究費助成事業研究課題21K01609「企業文化と労務管理の形成・変化・継承―上田市鐘紡丸子工場の設立から閉鎖まで―」)。以上、完全にマッチポンプな冒頭紹介ですが、以下に述べるように丸子工場資料群が重要な価値を持っていることは事実です。
鐘紡は戦前に既存工場を買収・合併することで急拡大して日本最大規模、世界的にも有数な巨大紡績会社として成長していったことから多くの研究者の注目を集めてきました。そうした鐘紡の歴史の中で、設計の段階から鐘紡が携わった工場は創立時を除けばほとんどみられません。鐘紡丸子工場はそのほとんどみられない稀有な工場で、1936年に操業開始し、主として絹糸紡績部門の生産を担いますが、1977年にカネボウ絹糸が設立されることでカネボウ本社から分離され、それ以降は工場所有者が数社変更したのち、1996年に工場閉鎖となりました(写真2)。
今回調査している資料群は、工場設立の1936年から閉鎖の1996年まで残存し、設計から機械の配置図や寄宿舎の構造を含む大量の図面、工場長回章や新旧工場長引継書、そして工場の営業報告書を含む費用や生産、収益に関する資料(写真3)など、その内容は多岐にわたります。(1)自社で一から設計・経営を推進された貴重な工場であることから、鐘紡の経営理念と企業文化の内実を解明、(2)所有者が変化したことで、企業文化や労務管理にいかなる変化が生じた(なかった)のかを検証、(3)地方に鐘紡という巨大企業の工場が設立された意義、(4)戦前からバブル崩壊後までの日本経済の変遷を定点観測できるなど、資料的価値は極めて大きいといえます。それでは具体的な研究成果は・・・資料調査中なので、乞うご期待!ということでお願いします。(東北大学大学院経済学研究科)
【写真1】「鐘淵紡績丸子工場 歴史探る」『信濃毎日新聞』2022年6月22日
【写真2】「鐘紡分離後の会社看板」(ザイデンシュトラーセン1階展示室)
【写真3】「昭和31年12月度 絹紡工場操業成績表」(丸子工場資料群)