6月11日:山形県立博物館令和4年度博物館講座①(荒武賢一朗)

毎年恒例となっている山形県立博物館令和4年度博物館講座(全6回)の第1回講師として、2022年6月11日(土曜)に登壇の機会をいただきました。この講座では、博物館長はじめ職員のみなさん、そして外部の専門家を含む講師陣から、さまざまなテーマについて最新の研究動向が紹介されています。今回、私は「近世における尾花沢・柴崎家の商業と社会貢献」と題して、同館所蔵の歴史資料「柴崎家文書」をもとに、受講者の方々と一緒に地域史を学びました。
江戸時代の尾花沢は、行政単位としては「尾花沢村」でありながら、出羽国村山郡の幕府領を統轄する尾花沢代官所の陣屋町、羽州街道の宿場町、そして名だたる「豪商」たちが拠点とする商人の町といった都市的性格をもっていました。そのなかで、柴崎家は紅花・銅・米・大豆などの特産品売買を取り扱い、京都や大坂との取引関係を強めつつ、広大な田畑を所持した地主経営にも力を入れていました(参考文献『尾花沢市史 上巻』2005年刊)。また、尾花沢を含む村山郡一帯では、たびたび凶作・水害・雪害などの被害を受け、困窮する人々も多数におよんでいます。天明3年(1783)の飢饉に際して、柴崎弥左衛門たちは窮民救済に尽力し、危機状況を克服するべく社会貢献の一翼を担っていました。
当時の古文書「米沢様江御貸上ケ金記録」(『尾花沢市史資料第7輯 柴崎家文書(その二)』1981年刊に収録)から、柴崎弥左衛門が米沢藩へ資金を貸し付ける(いわゆる「大名貸」)具体的な交渉過程を詳しく読み取ることができます。この内容から、尾花沢を訪問する米沢藩士一行と、出迎える柴崎家の人々の間には、長年の信頼はもとより、関係を継続していきたいという双方の意向がよくわかりました。さらに興味深いのは、対面の儀礼(正装をすべきかどうか?)や贈答品の交換(値段の算定)、接待の様子など「リアルな人々の動き」を追いかけることができたことです。
末筆ながら、講座運営に尽力をされました山形県立博物館の皆様方に心より御礼を申し上げます。

山形県立博物館 博物館ブログ
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博物館講座①チラシ PDFファイル