コラム:鹿津部真顔から地域での「狂歌」の指導を許された出羽南山の庄屋「柿崎弥左衛門」(高橋章則)

昨年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺~』は、主人公蔦屋重三郎が企画した「書物」を画面いっぱいに映し出し、「出版」が江戸文化の輝きを支えていたことを視聴者に印象付けました。そして、戯作者や浮世絵師、武家、町人、遊女など様々な階層や職業の人々が「狂歌」に親しんでいたことを教えてくれました。「出版」や「文芸」を歴史ドラマのコンテンツにまで引き上げた『べらぼう』の記憶が薄れてしまう前に、ドラマに頻繁に登場した「狂歌」が江戸っ子限定のものではなく地方の人々にも着実に根付いていたことを示す例を紹介します。
天保5(1834)年8月11日、未曾有の地崩れと川の氾濫による地域民の困窮に家財をなげうち対応した出羽国南山の庄屋柿崎弥左衛門は災害状況の視察に訪れた新庄藩の役人に「君がため惜しからざりし命さへ喰はで死ぬるあはれなりけり」の「狂歌」を披露しました。さらに「当分は麦・稗・粟の十郎兵衛娘や老いの命お法師や」という「落首」体の作品も付け加えました。型にはまらない「狂歌」ならではの表現で窮状を訴えたのです。
役人が耳障りの良くない「狂歌」を平然と受け入れた背景には弥左衛門の積極的な救済活動の成果がありますが、弥左衛門が「成升亭寿」という号を有する名の知れた狂歌作者であることが巷間に伝わっていたことが重要です。というのも、新庄藩主近辺の人々までもが折に触れて「狂歌」の披露を弥左衛門に求めていたことを彼の著述『巳荒子孫伝』は随処に記します。災害史研究で有名な本書は意外にも「狂歌」の社会的な意義を明示する好材料を提供するのです。
新庄藩領内に全国に知られた狂歌作者が多く存在したことが『新玉帖』①や『俳諧歌三友会』などから知られます。これらの作品集には「南山」と近隣の「清水」そして「新庄」と地名表記を伴う作品が多く掲載されています。それらは正式な教授資格(「都講免許」②・「判者免許」③)を江戸の鹿津部真顔から許された「成升亭寿」と同輩「判者」が自「連」の構成員の作品を取りまとめて全国規模での「狂歌合」(作品評価会)に提出し、秀作との評価を得ていたことを示す歴史的な痕跡なのです。
(東北大学文学研究科名誉教授)


①『新玉帖(あらたまじょう)』部分(文政12(1829)年、東北大学附属図書館狩野文庫蔵)


②「成升亭のあるしを都講の列にくはふる詞」……柿崎弥左衛門が文化10(1813)年に得た準指導者としての免許状「都講(とこう)免状」(鹿津部真顔(しかつべのまがお)筆、架蔵)


③「判者免状」……柿崎弥左衛門「成升亭寿(せいしょうていことぶき)」が文政 5(1822)年に取得した指導免許状(真顔筆、架蔵)

【参考URL】
コラム:地域文人発掘ツールとしての「狂歌」(高橋章則)
https://uehiro-tohoku.net/works/2020/2120.html

オンライン・ジャーナル『歴史資料学』第1巻第1号
1-1【講演録】大崎の町人文化―狂歌を中心に― 高橋章則
https://uehiro-tohoku.net/journal/2851.html

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【仙台】~見る・読む・知る~おもしろ江戸学
https://mrs.living.jp/sendai/living_culture/topics/5844620