コラム:栃木町の善野佐次兵衛による大名貸(髙山慶子)
栃木町は現在の栃木県栃木市の中心部に位置し、江戸時代には南から北に続く下町・中町・上町(現在の室町・倭町・万町)、およびこれらの東西にある横町(現在の旭町の一部)と西横町で構成されました。江戸時代の初期に城主の皆川氏の領地が没収され、城が破却された後は城下町ではなくなりますが、南北を例幣使街道が通り、巴波川の栃木河岸もあることから、水陸両様の流通の拠点、交通の要衝として町場が形成され、栃木町は大いに栄えました。
善野佐次兵衛は栃木町の上町の豪商です。屋号は釜屋。下町の釜喜こと善野喜兵衛が本家で、釜佐(善野佐次兵衛)と中町の釜伊(善野伊兵衛)はその分家です。善野家は近江国守山(現在の滋賀県守山市の一部)の出身で、本家の喜兵衛は享保5年(1720)、佐次兵衛は寛延3年(1750)から、栃木町で質屋を始めました。佐次兵衛家は麻、喜兵衛家は醤油も商っており、両家は、延宝7年(1679)から質屋を始めた円説(家守は坂倉重兵衛、屋号は井筒屋)とともに、栃木町の富商として知られました。
善野佐次兵衛は、本家の喜兵衛および円説・三悦(円説と同じく延宝7年創業の質屋、家守は喜多川儀右衛門、屋号は三ツ星屋)とともに、あるいは単独で、大名や旗本に金銭を貸していました。その貸付相手には、栃木町を飛び地の領地として治めた足利藩戸田家だけではなく、壬生藩鳥居家、古河藩土井家、館林藩松平家、そして旗本の横山家(下野国都賀郡に知行地)などが確認されます。江戸ではなく、栃木町を中心に、近隣諸藩などとの間で金融関係が形成されたと考えられ、善野家の経済力、さらには栃木町の経済的な繁栄がうかがえます。
大名貸では領地から上がる年貢が担保にされることが多いですが、壬生藩鳥居家の事例では、書画や茶道具・香道具が担保にされ、明治14年(1881)にはそれらで借金が清算されたことが明らかになりました。大名が収集した書画や道具類の具体像、およびそれらによる借金の具体的な精算方法が知られる珍しい事例です。(宇都宮大学准教授)
写真1「壬生侯道具三家入札分配扣」(個人蔵)表紙
写真2 上記帳面の最初の丁
「三家」とは、善野佐次平、善野喜平、坂倉重平(江戸時代の「兵衛」が明治以降「平」となる)。入札者の「室」は室町(江戸時代の下町)の善野喜平、「倭」は倭町(江戸時代の中町)の坂倉重平、「萬」(万)は万町(江戸時代の上町)の善野佐次平。この入札で書画や道具類の価格が査定され、その合計金額分が返済に充てられた。
【参考文献】
髙山慶子「近世大名家の動産資産―壬生藩鳥居家の道具類入札関係帳簿の紹介―」(『宇都宮大学共同教育学部研究紀要』75、2025年) https://uuair.repo.nii.ac.jp/records/2000816
同「近世大名家の動産資産 補遺―栃木町善野佐次兵衛家文書と道具移動の背景について―」(『宇都宮大学共同教育学部研究紀要』76、2026年)

