コラム:岩出山八幡神社の鐘「金属供出」の顛末を追う(菊地優子)

宮城県大崎市岩出山字下金沢に鎮座する八幡神社は、江戸時代には岩出山城下の惣鎮守として、明治時代以降は「郷社」として、人々の尊崇を集めたところです。ここに戦前までは大きな鐘がありました。岩出山伊達家2代当主宗敏(寛永2・1625年生~延宝6・1678年没)によって、寛文6年(1666)に奉納された由緒ある鐘で、岩出山町発行の『史跡のまち 岩出山のむかしかたり』(1987年)に町民の思い出・エピソードや伝説が所収されていて、いかに人々から愛されてきたかを知ることができます。


写真1 現在の岩出山八幡神社の社殿と鐘撞堂

鐘は現在失われていて全容を目にすることはできませんが、幸いなことに宮城県図書館が所蔵する『鐘銘集』に銘文が収録されています。同書は仙台藩士赤間良悌(よしやす)の編著で、赤間の没年から江戸時代後期から明治初期の成立と推察されます。石黒伸一朗氏が「岩出山の鐘銘と棟札銘」(『仙台郷土研究復刊32巻1号』、2007年所収)で、同書の分析と現在の大崎市岩出山地区に存在した鐘、および棟札の銘文のすべてを紹介されています。詳細はそちらを参照していただきたいのですが、そのうち八幡神社の鐘の銘文に記されていた神社の由緒を、以下に要約してみました。
「玉造郡巌出山八幡宮は、もとは(岩出山の領主であった)氏家氏の先祖が、城の西に安置した霊社である。政宗卿が居城の時、瑞籬(ずいり・みずがき)を移したのがこの処である。連枝にして、孫である伊達弾正宗敏が、廃れ壊れていた社殿を修繕し、鐘を奉納した。」とあり、鋳造は寛文6年(1666)の12月、書は仙台覚範寺6世で、岩出山城下の臨済宗寺院祥光寺を開山した徹宗和尚でした。なお、同じく『鐘銘集』に所収されている「八幡大菩薩棟札銘」によれば、社殿の再建は寛文元年で、棟札にはさらに詳しい由緒が記されていますが、この棟札も現存はしていません。
その鐘は戦時中の金属供出によって失われてしまったのですが、八幡神社に残る「寛文神鐘献納の顛末」と題する文書綴りから供出の経緯を知ることができました。当時の金属類回収の一例として、時系列で紹介します。
①昭和16年(1941)8月30日の勅令「金属類回収令」は、武器生産に必要な資源の不足を補うため、官民所有の金属類回収を行う目的で制定されました。
②昭和18年8月12日に全面改正がなされ、当時の宮城県では由緒ある金属の調査を行っていたようで、同年8月4日付けで「由緒アル物件中保存ヲ要スルモノ県ニ於テ記録並ニ写真等集録保存致シ」と、岩出山町役場より八幡神社に通知がありました。これに応じて、8月14日、神社の宮司青木博より宮城県知事内田信也に対し、「金属回収ニ依ル諸物件調査ニ関スル件」として、次の報告がなされました。
「一、名称 大撞鐘
二、所有者氏名 郷社八幡神社
三、品質  青銅
四、形収 添付ノ写真ト同ス 丈 龍頭ヨリ五尺三寸五分  周囲 八尺八寸五分  直径 外径三尺二分 内径二尺四寸一分
五、法量 約五百貫匁
六、作者及伝来 (省略)
七、其ノ他参考トナルベキ事項 (省略―鐘銘文の筆写)
八、写真添付  (※残念ながら鐘全体の写真は確認できませんでしたが、下の写真は銘文の拓本写真です。)                             」


写真2 大撞鐘の鐘銘(拓本)

この調査の結果は、文化財としての記録保存がなされたのか、または由緒ある文化財として回収を免れたのか、次の文書に続きます。
③昭和19年2月28日、宮城県大崎地方事務所長から岩出山町長宛で、「梵鐘回収ニ関スル件」と標題する文書で、「取り扱い開始以来相当日時も経過し、かつ当所においては過半数の供出を完了したが、貴部内の左記梵鐘は供出いまだ済まずと認められている。整理の都合上3月末をもって製錬所の受け入れを打ち切りするようにとの通知があったので、遅くとも3月5日迄には供出を完了するように」と通達がありました。これを受けた岩出山町長伊達宗夫は、八幡神社宮司青木博に宛て同文の通知を出しました。
④その後梵鐘は供出されたとみえ、昭和19年6月に金属回収統制株式会社が発行した「寺院梵鐘受領調書」には、重量662KG、単価89円、金額58,918円(相場額ヵ)とありました。
⑤いよいよ終戦。宮司は梵鐘の行方を追跡します。昭和21年1月25日、「秋田県小坂鉱山金属回収統制会社事務所」宛ての手紙を、小坂駅運送店に送りました。その内容を以下に要約します。

昭和19年4月20日「駅通は291号」の通知にて重量496キロ梵鐘陸羽東線岩出山駅より小坂駅へ発送したことを確認、大東亜戦必勝の信念のもとに命令の下に供出せしも、今となっては何等の必要もないと聞く、(当神社の)撞鐘は寛文年間の鋳造、当時の藩主の奉納したる、現在は宝物にして、氏子一同の要望に付き、現在鐘其のままに有るならば、縁故払下致されたく、御取調べを願いたい。

⑥これに対して、昭和21年3月11日付け、秋田県鹿角郡小坂町「株式会社藤田組小坂鉱業所」よりの回答(要約)

「貴所より供出の梵鐘は、昨年5月受入、昨年中に全部溶解処理済ニテ、御希望ニ副ヒ難シ」また、「供出ノ梵鐘ハ何レノモノモ、現在残品無之、全部処理済ニ付申し添候」とあり。

青木宮司の奮闘も空しく、鐘が溶解を免れることはありませんでした。「金属類回収令」によって失われた金属類は数知れない、といわれます。地域に鳴り響いていた梵鐘の音色には愛着があり、文化財としても後世に残したい、として奮闘した青木宮司や氏子の人々の喪失感はいかばかりであったか、想像に難くありません。
(付記)本稿執筆に際し、八幡神社宮司・青木司一氏よりご協力をいただきました。感謝申し上げます。
(大崎市教育委員会文化財課文化財調査員、岩出山古文書を読む会会長)